ニュース日記 800 ジェンダーと天皇制

 

30代フリーター やあ、ジイさん。秋篠宮の長女の眞子と小室圭が来月にも結婚する可能性があると報じられている。結婚式などの儀式はしない方針といい、見ようによっては皇室の面目丸つぶれに映る。

年金生活者 ふたりは婚約内定以来、週刊誌やネットでたたかれっぱなしだった。とりわけ小室圭は、母親が金銭トラブルを抱えていることや、彼が定職をもっていなかったことが皇族の結婚相手として不適格であるかのように非難された。

 御田寺圭という物書きがそうしたバッシングを批判している。小室は安定した職業に就いているべきだという批判は「男は甲斐性」という性役割の押しつけであり、「この社会全体が『男尊女卑』を強固に内面化していることの証左であるように思える」と(「なぜ『小室圭さんは、いくら叩いても構わない』風潮が生まれたのか」、2019年2月21日)

 男女平等ランキングが153カ国中120位の私たちの国でもふだんは男女平等へのあからさまな反対が表面化することはないのに、皇室が絡むとそれが公然と語られる。今年6月、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議が、女性・女系天皇の導入を見送ることにしたのはその一例だ。このことは天皇制そのものに男女平等を排する要素があることをうかがわせる。

30代 皇位継承を男系男子に限る制度は女性差別だろう。

年金 私たちの国の男女不平等は制度やシステムだけでなく、歴史が形成したエートスに起因しており、その根幹にあるのが天皇制と考えられる。言い換えれば、天皇制そのものが男女平等を排する原理に支えられていると言っていい。

30代 どんな原理なんだ。

年金 古事記神話では、天皇の始祖はアマテラスとされている。吉本隆明は『共同幻想論』の中で、このアマテラスと弟のスサノオの関係を、女性が種族の宗教的な規範をつかさどり、その兄弟が現実的な規範によって種族を支配した母系制社会の象徴ととらえている。この姉と弟の関係に、男女不平等に通じる性役割の分化を認めることができる。

 この分化は農耕社会の成立を前提としている。女性は新しい生命を誕生させ、その生命の生殺与奪の権も握っている。つまり女性は生命を創造し、その死命を制することのできる神でもある。そんな信仰が農耕と結びついたとき、すなわち子を生み育てる力が穀物を実らせる力と同一視されたとき、母系制の社会が成立し、女性が宗教的な規範を、その兄弟が現実な規範をそれぞれつかさどる性役割が生まれたと考えることができる。

30代 話が大昔過ぎるな。

年金 その残滓は今も近代的な性役割に形を変えて残っている。女性が宗教的な規範をつかさどった歴史は妻が家庭の主導権を握る形で、女性の兄弟が現実的な規範をつかさどった歴史は夫が生計の主な担い手となる形で受け継がれた。

 母系制を起源とする天皇制は性役割の分化を原理としている。現在の天皇および皇室の存在が直接、男女の平等を妨げることはないだろうし、まして天皇個人はリベラルと推察され、ジェンダーフリーが進むのを望んでいると思われる。それでも天皇制は母系制的な原理を日本人のエートスとして維持する力になっており、それがジェンダーフリーにブレーキをかけていると言わなければならない。

30代 母系制では女性が男性より優位に立っているように見える。それなら女性差別とは言えないだろう。

年金 肝心なのは性役割が分化したことであり、どちらが優位に立つかはそのときの条件による。だから逆転もある。

西欧の近代社会は女性優位の母系制の残滓を一掃し、逆に女性差別を拡大した。国民国家と資本主義がそれを強いた。いま女性差別に厳しい目が注がれるようになったのは、差別を強いた国民国家と資本主義が変容しつつあることを物語っている。

30代 近代社会はこれまで自らの理念に反することをしてきた。

年金 国民国家は封建社会にはなかった徴兵制を導入した。それは封建貴族社会あるいは武家社会の女性差別を国民全員に拡張することを意味した。軍事では筋力に勝る男性が尊重される伝統がそれらの社会にあったからだ。

 資本主義がもたらした工業化も、筋力に勝る男性の労働力を重宝することによって女性差別を民衆の間に広げた。それまで社会の大部分を占めていた農業労働は男女の差がそれほど意識されなかった。

 徴兵制は男性を居住地から離れた基地や戦場に動員し、工場労働もまた職住の分離を促した。男性は外で働き、女性は家庭を守るというイデオロギーの物質的な基礎が生まれた。

 いまその基礎が崩れてきている。軍事技術の高度化と徴兵制の廃止、そして産業のソフト化と職住の再接近は、筋力の優位性の神話を打ち崩し、女性は家庭にというイデオロギーを解体しつつある。

 男女の筋力の差は程度の差に過ぎず、それもたいした差ではない。軍事にしろ労働にしろ男女が入れ替わっても、結果は大差がないはずだ。男性の筋力の優位性は統計的な差を誇大化した神話に過ぎない。

 だとしたら、日本では天皇制がジェンダーフリーを阻む最後の砦になる可能性がある。