ニュース日記 799 菅退陣
30代フリーター やあ、ジイさん。菅義偉が自民党総裁選への出馬をあきらめたのを見て、コロナは政治指導者の命取りになるんだなと思った。安倍晋三が辞めたのも持病の悪化というのは口実で、ほんとうはコロナに追い詰められたせいだ。
年金生活者 菅の退陣表明はコロナ対策をめぐって医師会や病院業界などの「医療権力」にあらがおうとして、国民の支持を失った結果と映る。
「医療権力」が目指すのは基本的にゼロコロナだ。とにかく感染を防ぐことを最優先し、感染が広がった場合の対応は二の次にする。その結果、国民には行動の制限を求めるのに、自らの行動変容、つまり医療供給体制の拡張には消極的になる。
それが続くと経済は損なわれる。菅政権が最も懸念したのはそこだ。経済の停滞は政権を脅かす。GoToトラベルに執心し、五輪の有観客開催にこだわったのはそれを心配したからだ。
菅義偉は本音では新型コロナを普通の風邪に近い感染症と考えていたのではないか。だから、ゼロコロナではなくウィズコロナを目指そうとして、特に最近は医療供給体制の確立を強調するようになっていた。それは「医療界」の既得権益を奪うことにつながる。医師会や病院業界は抵抗した。国民の行動制限こそが大事だ、と。
医療への信仰を持つ国民の多数はそうした「医療権力」のゼロコロナ路線を支持し続けた。政権の振る舞いはことごとくそれに反することのように国民の目には映ったに違いない。
30代 新型コロナ対策はゼロコロナを目指せば経済を損なって国民生活を圧迫し、ウィズコロナを目指せば国民の不安を誘うというジレンマをはらんでいる。
年金 ゼロコロナの実現は不可能なことであり、ウィズコロナを選択するしかない。それには国民の不安を払拭する必要がある。そのためには、風邪やインフルエンザのように、いつでもどこでも診療を受けられ、重くなる恐れがあればすぐに入院できる医療体制が必須となる。
その構築は「医療権力」の強い抵抗に遭うことが必至で、政権がかわったからといって出来るようになる保証はない。「既得権益の打破」を公約に掲げて総理大臣になった菅にさえできなかった。だとしたら、次の政権もゼロコロナとウィズコロナの間でふらついて国民の支持を失い、短命に終わる可能性がある。
30代 菅義偉が自民党総裁選で河野太郎を支援する意向を周辺に伝えたと報じられている(9月4日読売新聞オンライン)。
年金 コロナ対策で自分のできなかったゼロコロナからウィズコロナへの転換を河野にやってほしいと考えているのではないか。
菅も河野も恫喝やパワハラで役人を脅して言うことを聞かせる手法は共通している。違うのは菅には河野のようなメッセージの発信力がないことだ。そのため、コロナ対策と経済の両立を何度も口にしても、国民の目にはコロナを野放しにしているとしか映らなかったのだろう。
菅義偉にはできることなら医療界の「既得権益の打破」に手をつけたいという野心があったと推察される。しかし、国民の支持がないことにはどうしようもない。だとしたら、国民を納得させるコロナ対策の全体像を発信することがどうしても必要になってくる。河野ならそれをできるかもしれないと菅は判断したのではないか。
30代 菅の退場で衆院選は自公の圧勝との見方さえある。
年金 リベラル風味の岸田文雄、ネトウヨに人気の高市早苗、何するかわからない河野太郎。
自民党総裁選でこれだけ毛色の違う役者がそろえば、野党の出る幕はない。国民の目にはそう映っているのではないか。自民党の強みのひとつが、今はやりの「多様性」にあることをあらためて示している。
これに対して、野党第1党の立憲民主党はリベラルに傾斜し、保守政治家はいるものの党としては単色に近い。この「多様性」の乏しさが支持率の低迷の一因になっている。
立憲民主党の前身の旧民主党が政権を奪取できたのは「寄り合い所帯」と揶揄されるほど「多様性」を備えていたからだ。それが消費増税をめぐって分裂し、「多様性」を失って、政権の座から滑り落ちた。
アメリカやイギリスの2大政党は日本の自民党ほど「多様性」はなく、リベラルか保守かといったそれぞれの色が単色に近いように見える。「和」を好み、強い自己主張や鮮明なイデオロギーを敬遠する日本人固有のメンタリティーが自民党の「多様性」には反映されている。
その「多様性」の多様な要素の中で軸になっているのが保守性だ。おそらく日本人は左派が不在の「多様性」は支持しても、保守が不在の「多様性」は政権をまかせるほどは支持しない。旧民主党政権が共産党抜きの連立政権だったことはそれを示している。東西冷戦が続いた第2次大戦後の世界は、一党独裁のソ連や中国のせいで左派は保守よりも「多様性」に非寛容というイメージが定着したことが影響している。
30代 野党の出る幕はいつまでもないままか。
年金 あるとすれば、旧民主党に劣らない「寄り合い所帯」になったときだろう。勢いがあったときの旧民主党は自民党に劣らぬ「多様性」があった。