がらがら橋日記 カブ7
眠るって案外難しいことなのだ、と思うようになった。ぼくは、もともと寝付きが極めてよい方で、だれかと同宿すると翌朝決まって言われることがある。
「どうやったら三秒で寝られる?」
そんなことが感心に値するのかずっと疑問だったのだが、自分が何の価値も感じていなくてもそれが羨ましい人たちがいるのだ。羨ましいことの大半は、そんなものなのだろうけれど。しょうもないこと、とは思いつつ、真面目に方法を尋ねられたり、分析を試みられたりすると悪い気はしない。
ところが、その特技も怪しくなってきた。すぐに眠れても、真夜中に目が覚める。再び寝ようとするがどうにも眠れない。蒸し暑い夜など寝苦しさを理由にできるが、快適な夜でもままある。
山小屋での一泊目がやはり眠れない。夜通し運転した上に半日登り続けて疲労が極限に近くても眠れない。次の日も一日登り続けなければならないのに体が持たないのではないかと初めはおそろしかったが、経験を重ねるうちにその程度ではくたばらないということがわかってきて、眠れないことがそれほどこわくはなくなった。
理屈から言えば、交感神経が昂ぶっていて副交感神経に切り替わっていないということらしく、山行の初日であればさもありなんと思うのだが、何の刺激もなかった一日の終わりに副交感神経がうまく作用してくれないとなれば、切り替えの不具合が生じているからと考えるほかない。年を取れば衰えるが道理。眠れないのもスイッチが錆び付いているせいだろう。
眠るか眠らないかの二つしかなかった十八の夏。青函連絡船が函館に着いたときには、日はとっぷりと暮れていた。ねぐらを探す面倒も手伝って、北海道上陸初日くらい贅沢するのもいいだろうということにして、旅館を取った。
糊の利いた真っ白なシーツに正座し、なで回す。ああこの匂いだ。もう何日も嗅いでいなかった。足を滑らすと木綿の繊維が音を立ててかかとをこすってくる。これ以上の快を見つけるのは難しいぞ、などと心中でつぶやくうちに三秒で寝る。
翌朝、迷った末に連泊することにした。函館の五稜郭など訪ね、夜景も見ねばなるまいと思ったからだ。司馬遼太郎の『燃えよ剣』を興奮して読み、五稜郭はどうしても見ておきたかった。しかし、それを上回る動機があったことも白状しておかなくてはならない。
眠ることがいともたやすかった夜は、もう二度とやってこないのだろうなあ。