がらがら橋日記 何もしない

 

 中学校の同級生と二年ぶりに飲んだ。土曜日の居酒屋で客が我々三人だけというのもこの状況下ではさして珍しくもないだろう。店主の苦労も並大抵ではなかろうと表情を見るが、腹をくくっているのか淡々としたものだった。

「それで、今何しちょう?」

 おいでなすった。誰彼から問われるに違いないと想定していた問答集のナンバーワンが乾杯もせぬうちにいきなりだ。当然回答を用意しているのだが、問われ方のバリエーションが様々なのでどう答えたものか迷ってしまう。

「ん、何もしてないけど。」

 待て、これは回答例になかったはずだが。なぜこれを答えている?自問自答している間に、同級生はびっくりしてしまっている。

「マジか…。」

 羨望などかけらもない。よく平気でいられるな、と不思議に思っている。いや、お前が思うほど何もしていないわけではない、と言いつくろいたい気持ちに襲われる。

「オヤジが死んじゃったし、かたづけしたり…。あっ、それに毎日料理しちょう。」

 いまいましい。つまらぬことを並べてしまった。何もしていない、それでパーフェクトだったのに。

 黒板を前にするか背にするかの違いはあるにせよ、半世紀以上学校に通い続けたのだ。退職とは、学校に通わなくてよいということだ。これは自分にとって大きなことだから、一月や二月などとケチなことを言わず、三年でも四年でも通わないでみよう。何をするかは、それに比べればたいした関心事ではないのだ。

 デルタ株の感染力は、子どもも大人も変わらないとニュースが言う。テレビには二学期の始業を前に対応に苦慮する学校が映り、消毒液を手にした教頭がインタビューに答えている。

「大変だな、学校も…。」

 つぶやいたら、妻が言った。

「いいのかな、このままで。三月まで大変だった人が、何もしないで。」

 まずいのじゃないかという妄念が妻のアシストで浮かんでくるのをやり過ごす。

「何もしないで平気だったら最強だろう。」

「そりゃそうだけど…。」

 「今何しちょう」「息しちょう」、幼い頃飽かず繰り返した対話がふと浮かんできた。人を食っていながら、開き直っているようでもあり。これを怒る無粋は御法度だ。なかなか奥深い。今度使ってみよう。