ニュース日記 793 コロナは消えない

30代フリーター やあ、ジイさん。政府がコロナ感染を抑えるため、酒の提供の自粛要請に応じない飲食店に対し、取引のある金融機関や酒の販売業者を通じて働きかけを強めようとして、業界団体などから抗議を受け、世論の逆風を懸念する与党からも反対されて撤回に追い込まれた、と報じられている(7月14日朝日新聞朝刊)。コロナ担当相の西村康稔に辞任要求も出ている。

年金生活者 医師会、病院業界、医療専門家、医薬品・医療機器メーカーなどをひとまとめにして「医療権力」と呼ぶなら、その強さは法による「強制」によらなくても、「自粛」の「要請」で国民の行動を左右し得ることをコロナはあらわにした。「要請」に従わない場合は「自粛警察」が強制力の発動を代行した。

 金融機関や酒販業者を通じた飲食店への働きかけは特措法にも書いてない「要請」であり、超法規的な「脅し」に等しい。なぜ「医療権力」がからむと、こうもやすやすと法の支配からの逸脱が起こるのか。それだけこの権力が強いからであり、その強さは国民の「信仰」といっていいほどの「信頼」に支えられている。ここで言う「信仰」とは、自然法則によって決まる人の生死をあたかも医療が決めるかのような思い込みを指す。

 諸外国でも大なり小なり医療への「信仰」があるなかで、日本のそれは強いほうだと推定される。それが欧米のような「強制」ではなく「要請」で国民の行動を規制できた最大の要因だ。だが、コロナは同時にそうした「信仰」を相対化もした。「自粛」の長期化の不自然さに人びとの心身はおのずと拒否反応を起こし始めている。それが繁華街での人出の回復となってあらわれている。

30代 東京に出された4度目の緊急事態宣言は、五輪開催のための宣言となった。感染抑制の実効性よりも「安全安心」な五輪をアピールする効果を菅政権は期待しているのだろう。

年金 宣言は世論の求める無観客の根拠にも利用された。チケット購入者や旅行業界からの不満を多少とも抑えることができる。コロナのわずかな感染拡大も許さない医師会や病院業界、専門家などの「医療権力」に政府、与党の「政治権力」が打ち負かされた証しとして東京五輪は開かれることになった。

 たしかに東京都の感染者はまた増え始めている。だが、死者は減少傾向にあり、重症者も確保病床約400床に対して50人台にとどまり(東京都HP、7月14日更新)、医療逼迫が差し迫っているわけでもない。

 菅義偉らは五輪を有観客で開催しても爆発的な感染拡大には至らず、医療が逼迫することもない、と見込んでいたに違いない。それにワクチンの効果も加わる。新型コロナは日本では高齢者や基礎疾患のある患者を除けば風邪と変わらないという本音がそのベースになっていると推察される。

30代 それでもまた緊急事態宣言を出し、無観客に甘んじることにした

年金 「医療権力」とそれを支持する国民世論に押された結果といえる。飲食業界、とりわけ酒を出す店に犠牲を強いたのは、それによって生活に困る国民の比率が世論の大勢を左右するほど多くないからだ。

30代 マスメディアはどちらかというと医療の専門家の言うことに政権が耳を傾けないといったとらえ方だ。「医療権力」という言い方は極端なんじゃないか。

年金 「医療権力」はコロナ対策をめぐって終始、政府、与党の「政治権力」より優位に立ち、それを動かしてきた。そして野党は自ら進んでこの権力に追従した。永田町はことコロナに関する限り「医療権力」の支配下に置かれたということができる。

 五輪の無観客開催という前代未聞の事態は「医療権力」の強さを象徴する。患者はひとりも死なせてはならず、病気は治さなければならないというのがこの権力の行動原理であり、医療にはそれができるかのように振る舞う。おおかたの国民はそれを信じ、頼りにし、それがこの権力の強さの源泉となっている。

 医療がどんなに踏ん張っても、人間は必ず死ぬし、治らない病気はいくらでもある。それを承知でこの権力は死者ゼロ、病気ゼロを目指して行動することをやめない。それが自らの存在理由だからだ。コロナへの対処の仕方もその延長線上にある。口ではそう言わないが、振る舞い方はゼロコロナを目標にしており、ひとりでも感染者を増やさないことを至上命令としている。

 そのために国民に強いたのが「自粛」であり、そのさいの脅し文句が「医療崩壊」にほかならない。ウイルスを人為的にコントロールすることはできないのだから、感染が拡大することを当然の前提として、「崩壊」しない医療供給体制をつくる努力は今に至ってもなされていない。その果てに行き着いたのが無観客五輪だ。

30代 見ようによってはウィズコロナの五輪にも見える。

年金 バブル方式も無観客も、目指しているのはコロナの排除だ。そんな「ゼロコロナ」思想に囚われた対策を続ける限り、コロナ禍の終息はない。ウイルスの撲滅など不可能であり、感染の拡大と縮小の反復を人為的に止めることができないことはこの1年半で実証されている。