ニュース日記 792 トランプ的なものは消えない

30代フリーター やあ、ジイさん。トランプが先日、大統領退任後初の大規模集会を開いたと報じられていた。現職を退いたあとも根強い支持がある。

年金生活者 固い支持層の存在は、おのれの知識、知力ゆえに民衆を見下し、その生活を軽んじてきた民主党のエリート、エスタブリッシュメントに対抗する力であり続けるだろう。

トランプは大統領就任演説で「私たちは、首都ワシントンから権力を移し、国民の皆さんに戻すのです」と語り、ワシントンのエスタブリッシュメントから不遇な扱いを受けていると感じる国民の味方として熱い称賛を浴びた。

 そのときの選挙についてフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは次のように指摘している。「ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコなど大都市のメディアや大学のエリートは、トランプ支持者を『学歴がない』『教養がない』と馬鹿にし、ヒラリー本人も、『嘆かわしい人々(deplorable)』とまで言いました」(「それでも私はトランプ再選を望む」、『文藝春秋』2020年11月号)。そうした上から目線のエリートたちが民主党の主導権を握ったことがトランプを大統領に押し上げる要因のひとつになった。

30代 なぜそんなエリートが生まれたんだ。

年金 背景に社会の情報化がある。情報とは知のひとつだから、情報化社会とは知あるいは知力がものを言う社会といってもいい。同時に第2次産業に代わって第3次産業が経済の牽引車となった社会でもある。第3次産業は第2次産業以上に知識、知力が求められ、それを所有する者が優位を占める。

 他方、産業の本流から外れた第2次産業は以前ほど雇用を生まなくなり、鉄鋼や石炭などの産業に従事していた労働者たちは働き場を失っていった。トランプは彼らを「忘れられた人たち」と呼び、いま不遇な目に遭っているのはワシントンのエスタブリッシュメントのせいだと訴えて支持を広げた。

 この政治的な構図は今も変わっていない。もし彼が次期大統領選に立候補すれば、当選はしないまでも、いい勝負をするだろう。知識、情報、知力を手にした者が有利になり、その格差が広がる社会では、リベラル派がどんなに嫌がっても、トランプ的なものが消えることはない。

 夏目漱石は『草枕』の冒頭に「智に働けば角が立つ」と書いた。トランプ的なものは、智に働き過ぎて民衆の生活を軽視する傾向に陥りがちな民主党やその支持勢力に活を入れ、軌道修正する役割を果たすだろう。

30代 だからトランプやその支持者のガラの悪さにも耐えろと?

年金 思想の課題は知識の蓄積にではなく、「大衆の原像」を自らに繰り込むことにある、と吉本隆明は繰り返し語った。このことは思想ばかりでなく、政治にも当てはまることをトランプの登場は示した。

 大衆の原像とは、天下国家のこととか、芸術のこととか、日常生活から遠いところにあることについてはふだん考えず、自らや自らに近い人たちの生活のことを第一に考えて暮らす人間の像を指す。現実にはそういう人物は存在せず、みな大なり小なりそこから逸脱して生涯を送る。だから原像としての大衆はひとつの理念型と言っていい。

 大衆の原像を自らに繰り込む作業は、もしその理念型の人物が実際に行動するとしたら、どう考え、どのように振る舞うかを想定する作業、その人物が自らの当面する問題をどう受け止め、何を考え、どう対処しようとするかを想定する作業となる。

30代 トランプがそれをやったと言うのか。

年金 生活を第一に考える原像としての大衆が、もし失業したラストベルトの労働者だったら、その苦境に目を向けないで、ジェンダーフリーや脱炭素にその知識や知力を費やすワシントンのエリート、エスタブリッシュメントをどう見るか。トランプはそれを考え、彼らに集中的に支持を訴えた。

30代 それを認めるとしても、大統領になってからの彼の功績らしい功績を数え上げるのは難しい。

年金 いちばんわかりやすいのは、中華思想を手離さない独裁中国の姿をあぶり出し、前政権に残っていた中国への甘い期待を打ち砕いたことだ。それは経済戦争ばかりでなく、対北朝鮮政策においても言える。

 北朝鮮の非核化を、同国に影響力のある中国の力を借りてやろうとしたオバマ政権までの路線をトランプは捨て、金正恩とのじか取引によって進めようとした。その結果、朝鮮戦争の事実上の終結を確認し、北朝鮮に核実験と長距離弾道ミサイルの発射を停止させた。

 目標に掲げた「完全な非核化」にはほど遠いが、東アジアの緊張を緩和し、アメリカは朝鮮半島情勢を以前ほど気にすることなく、中国と対抗することができるようになった。

 バイデンはトランプの対北朝鮮政策を土台にしながら、「即時完全非核化」から「段階的アプローチ」に手順を修正して進める方針とされている。それは両国による事実上の核の共同管理が続くことを意味する。もしバイデンがトランプではなく、オバマから政権を引き継いでいたら、それはあり得ず、いまも朝鮮半島は核をめぐる不安定な状態が続いていただろう。