がらがら橋日記 カブ2

 四か月後、同じカブで北海道に行った。その間、ぼくは高校生から大学生となった。赤地に白で一とある標識が何を意味するか、原付バイクで走ってはならない道路がある、などということもだんだんとわかってきて、よくこんなので免許が取れたものだとあきれたり、奈良の道路で追い越していくどのドライバーもぼくの顔をのぞき込んでいた理由に合点がいったりした。北海道は、奈良に比べれば何倍も遠いのだが、それはまったく苦にならなかった。寒くないというだけで、どこまでも行けそうな気がしていた。

 一月かけて旅をする間、ツーリングをしている若者たちとは、あちこちで出会い、よくしゃべった。カブに乗っている者には一人も出会わなかった。逆に珍しがられて、向こうから話しかけられることが多かった。いきなり打ち解けた雰囲気になるのは、カブのおかげだった。スピードを放棄した鈍重な風体が警戒心を解くのだろう。馬力や装備を披瀝しあっているライダーたちの話題には入れなかったが、一人旅を楽しんでいる若者たちとは話が弾んだ。

「学生時代は、時間はあるけど金がない。社会人になると金はあるけど時間がないからね。」

 この言葉をいったい何人から聞いたことだろう。そして何人にしゃべったことだろう。あのころ若者はみんなそう思っていた。今の若者たちもそう思っているのだろうか。

 就職を控えた学生やわずかな休暇をあてて来ている社会人たちは、今のうちにやりたいことをやっておけ、と言った。食堂に入るのは一日置きと決め、パンとキャベツとマヨネーズをスーパーで買ってかじりついていたぼくは、金があるってだけで社会人の方がはるかにうらやましかった。

 教員になると、やっぱりその通りだった。金はあるけど(金持ちという意味ではない、念のため)時間がなくなった。気ままな一人旅に時々焦がれはしたが、そこまでだった。頭の中から仕事を追い出すことができないのに、効率を無視した旅などできようはずもなかった。

 定年退職した今、金はあるけど(金持ちという意味ではない)時間もある。これがどれだけ希有なことなのかまだ十分に理解できていない気がする。気ままな旅をせずにおくものか。

 カブで走った道を地図でたどりながら、一回目の希有な旅を振り返る。ここは大地に夕日が沈むのを眺めながら走ったところだ。暮れるまでに町にたどり着くのかわからぬまま。ふと、思い至る。気ままと心細さは裏表だ。気ままだけなんて、あるはずない。