ニュース日記 790 政権はコロナをどこに着地させたいのか
30代フリーター やあ、ジイさん。新型コロナのワクチンには人びとをマインドコントロールするナノチップが入っている、といった陰謀論をネット上で見かける。
年金生活者 ワクチンには人の気分を変える作用があり、いま菅政権が接種の拡大で狙っているのも一種の「マインドコントロール」だろう。
ウイルスを絶滅させることができない以上、感染はこれから先も拡大と縮小を繰り返すだろう。だとしたら、コロナ禍を終息させるには国民の「マインド」を変えるしかない。つまり感染があっても「安全安心」であり、ウィズコロナが当たり前と思うように国民を仕向けることだ。その決め手となるのがワクチン接種だ。菅義偉らはそう考えていると推察できる。
ワクチンの効果について政府は、感染予防効果は十分には明らかになっていないとする一方で、発症予防効果はあると言っている。ワクチンで感染が減らなくても、発症、重症化が抑えられるなら、医療の逼迫の恐れも薄らぐはずだ。この点を強調すれば、感染はあっても「安全安心」なので、ウィズコロナで行きましょう!とアピールできる。
30代 政権は五輪もウィズコロナを定着させる機会と考えているのかもしれない。
年金 五輪には厳重なコロナ対策が施されるから、これまで経験した程度の感染の拡大はあっても、開催が直接の原因と思わせるような感染の急拡大の可能性は低い。国民も「大丈夫かも」と次第に思い始めるだろう。五輪もまたワクチンと並んで国民のマインドを変える要因となり得る。
30代 そんなに楽観できるのか。
年金 菅義偉は本音では、コロナを高齢者や基礎疾患のある患者以外にとっては普通の風邪に近いと考えているのではないか。GoToトラベルの実施にあれほどこだわったのは、コロナをそんなに恐れていなかったからと推察される。それなのにGoToを断念したのは、医師会や病院業界、感染症専門家らの力に押されたからだ。その背後には彼らを支持する国民世論があった。
感染拡大による医療の逼迫を恐れる医療界は、コロナの怖さを国民にアピールし、ひたすら自粛を求め続けた。もともと医療に厚い信頼を寄せていた国民は、未知のウイルスへの恐怖が加わって、彼らの言うことに忠実に従った。世論に一喜一憂する政権はそれに逆らうことができなかった。ワクチンと五輪は、そうした力関係を逆転させる切り札のように菅政権の面々には映っているに違いない。
人出の回復が示しているように、国民が以前のような強い自粛をしなくなったことも彼らには追い風となっているかもしれない。
30代 「自粛警察」も鳴りをひそめたようだしな。
年金 自粛警察の正体は、他人にも自分にも掟の厳守を求めないではいられない強迫的な傾向を持つ人物ではないか。この世界は隅々まで掟で組み立てられていて、そこで生きていくことは、その掟をすべてのことに逐一当てはめていくことであり、掟に背くことは生きることをあきらめることだ。当人はそう思っているのかもしれない。
そう推察するのは私自身にいくぶんかその傾向があるからだ。何かをしようとするとき、その掟がどうなっているのかをまず知りたくなる。知ったらそれに忠実に従いたくなる。そこから外れていないか絶えず気にかかる。
30代 なぜそうなるんだ。
年金 掟を過剰に守ろうとする傾向の起源は、生誕時にさかのぼる。万能感と快感に浸ることのできた母胎の楽園をいきなり追われ、この世界の荒れ野に放り出されたとき、人間はそれまでとは違う未知の過酷な掟がそこを支配していることに気づく。楽園と荒れ野の落差を思い知らされ、一刻も早くもとの楽園に帰りたいと切望する。
だが、それはかなわず、望めば望むほど落差は大きく感じられる。それを縮めるには掟を知り、それに従うしかない。どんな掟なのか懸命に知ろうとし、知れば必死でそれに従おうとする。掟が未知であることがその衝動を強める。
30代 だれでも自粛警察になり得る。
年金 そうではない。生まれたばかりのとき、過って床に落とされたとか、何かにぶつけられたとか、トラウマを負うような体験をすると、楽園と荒れ野の落差はいっそう大きく感じられる。それを縮めようとする衝動はさらに高まり、掟に忠実であろうとする傾向はますます強まっていく。
少し成長して、たとえば母の情緒が落ち着かなかったり、仕事が忙しかったりして、授乳や排便の世話をたびたび中断するようなことがあれば、乳幼児は生誕時に感じた落差と同様の落差を感じ、ふたたび楽園への帰還願望を強める。それを縮めようと掟に隷従するようになる。
掟に背けば生きていけなくなるという無意識の思い込み、生きていくことはそのつど物事に掟を当てはめていくことだという思い込みが、こうして定着する。しかし、掟を厳格に守ろうとすればするほど、現実は掟どおりにはいかなくなる。とりわけ他人が介在するとそうだ。掟どおりにいかないのは、掟が厳しく守られていないからだ、と本人は考え、ますます掟に囚われていく。自粛警察になる条件がそろい始める。