専業ババ奮闘記その2 虫捕り④

 朝は、二男の弁当作りが仕事に加わった。コロナ感染拡大により、学校が休校になっているので当然給食はなし。しばらくは、「適当に買って食べるから」と言っていた二男も、連日の買い弁に飽き、金も無くなってきたのだろう。大きなおにぎり二個、冷凍していたおかずの残りなどを詰めたパックを袋に入れ、玄関に置く。

 自力で歩くことが難しくなってから、義母の世話も少しずつ増えてきた。二階にブザーの音が聞こえるリモコンをベッド脇に置いていたが、夜中に度々鳴らされるとたまらないと言って、夫が電池を抜いてしまった。その代わりに、合図に襖を叩くようになった。連休明けの二日間、合図の度に、「ハイベン」と言われ、トイレに連れて行く。催してはいるが出ないらしい。行く度に、「ハイベン」「ハイベン」だ。三日目の朝、トイレに連れて行き、ドアの外で待っていると、「智恵美さーん」と呼ばれる。「出かかっちょう」と言われるので覗いてみると、少し見える。ゴム手袋をはめ、少しだけつまみだした。

 その日は義母をデイサービスに送った後、玉湯に出かけた。雨降りで、軒下に寛大と実歩、そして宗矢を抱っこした娘の姿があった。寛大の縄跳び練習を見ているのだ。縄を回して一回飛び越すことはできるが、連続してはできない。寛大の目は潤んでいる。娘には、「無理して続けると、義一みたいに坐骨神経痛になるよ」と言い、皆で家の中に入った。しばらく実歩の相手をしていたら、「買い物に出かけるから、子どもたちをお願い」と娘が言うので、宗矢を預かる。大分私にも慣れ、お母ちゃんがいなくても大泣きはしなくなった。寛大はテレビを見、実歩と私で宗矢の相手をし、娘が帰るまで泣き声なしで済んだ。

 昼食後、孫たちと娘が寝ると、雨で出られないので、パソコンを開き、点訳の校正をする。昼寝から起きたら、寛大はお絵描き、実歩は私とパズル。寛大が何を描いているのかと紙を覗くと、カブトムシだった。長男もよく虫の絵を描いていたっけ。

 帰ってデイサービスの車を迎えると、車椅子で降りてきた義母は満面の笑みを湛えていた。「出ましたよ、たっぷり。皆でバンザーイでしたよ」と介護士さん。