ニュース日記 789 資本主義と国家
30代フリーター やあ、ジイさん。経団連の新会長になった十倉雅和が「社会全体の利益を求めていかなければ経団連は社会から支持されず、政治への影響力も持ち得ない」と語ったと報じられている(6月1日朝日新聞朝刊)。
年金生活者 現在の資本主義が何を新たな利潤の源泉としようとしているか、それを示唆した発言に聞こえる。
記事は十倉が「市場原理主義に基づく行き過ぎた効率追求や規模拡大が、格差の拡大や気候変動、生態系の破壊を招いているとの見方を示し、『良識ある経営者は、今までの企業、資本主義のあり方に危機感を持っている』と話した」と伝えている。これは「格差の拡大や気候変動、生態系の破壊」があるとすれば、そこにこそ利潤の源泉を求めなければならないし、それは可能だという表明にほかならない。
問題のもとが「市場原理主義に基づく行き過ぎた効率追求や規模拡大」にあるなら、「市場原理」に代わる、あるいはそれを補完する原理が必要であり、その最有力候補とされているのが「国家原理」だ。リーマンショックは国家なしには資本主義が作動しないことをあらわにした。大規模な経済停滞から立ち直るには、国家による大規模な財政出動が必要だった。
「国家原理」にもとづく機能のひとつが富の再分配であり、格差の是正も脱炭素も、その機能の働きなしには実現することはない。そのさいの大規模な財政支出とその波及効果は資本の新たな利潤の源泉となるはずだ。「大きな政府」政策を鮮明にしたバイデン政権はいま世界の先頭を切って、その源泉の開発に乗り出そうとしている。
30代 「市場原理主義」は国家を邪魔者扱いさえしてきた。
年金 資本主義も、国家も、富の稀少性なしには成り立たないシステムだ。資本主義を駆動する自由競争は、富があり余るほど潤沢なら、必要なくなる。国家の主要な機能である再分配も同じだ。
資本主義は国家よりもはるかにあとに誕生した。自由市場での商品交換が支配的な社会は、それ以前の社会、すなわち国家による再分配が支配的な交換様式だった社会よりも富の稀少性の縮減が進んだ社会ということができる。言い換えれば、国家による再分配に大幅に頼らなくても、自由な競争によってある程度まで富が一般の民衆に行きわたるほど生産力が高まった社会ということだ。
その社会は一般の民衆にモノやサービスを買える力がないと回転しない。経団連の会長が格差の是正を口にするようになったのは、一部にカネが集中し過ぎると、企業の生産したモノやサービスが売れなくなるからだ。大金持ちであっても、消費には限度がある。余ったカネは投機に回されたり、退蔵されたりする。それらが一般の民衆に回れば、消費に使われるから、企業の生産したモノやサービスが売れるようになる。
だが、格差の是正は自由競争によっては不可能だ。国家の再分配機能が不可欠となる。現在の資本主義はその機能を使うことによって、格差の是正を利潤の源泉にしようとしている。
30代 先進諸国では長いことゼロ%前後の金利が続いている。資本が利潤をあげられなくなったということだから、資本主義は終わりに向っているという見方がある。
年金 日本でゼロ金利が続く要因について経済学者の池田信夫は「製造業の空洞化による国内投資の不足が、2000年代以降のデフレやゼロ金利の最大の原因」と指摘している(「日本のデフレの正体は製造業の空洞化だった」、JBpress、6月12日)。ゼロ金利が製造業の空洞化に起因するとしたら、それは第2次産業のあげる利潤が第1次、第3次産業にくらべて格段に大きいことを示している。
興隆期の資本主義は農村という辺境と都市という開発地の間にある労働力の価格差を搾取することによって利潤を生み出した。先進諸国でそうした農村(辺境)がわずかになると、国外にそれを求めた。それを地球規模で進めたのが近年のグローバル化だ。かつての農村に匹敵するのが旧社会主義諸国や中国のような新興国、発展途上国だった。
辺境の存在が利潤の源泉になり得たのは、人類史を支配してきた富の稀少性の大幅な縮減を産業革命が実現したからだ。「西欧の1人あたりGDPを西暦1年からグラフにすると、産業革命を境に崖ができていると思うほど」(「山口真一のメディア私評」、6月11日朝日新聞朝刊)その縮減幅は大きい。
製造業が生み出した衣・食・住にわたる富は、人間の生存の可能性をそれまでの時代にくらべて大きく広げた。それが大量の新たな消費を民衆に促した。その費用は資本が支払う労働賃金によってまかなわれ、その循環が利潤を生んだ。
辺境を国外に求めたことによる製造業の空洞化は日本だけでなく、どの先進諸国でも進んでいる。第3次産業の中心をなすサービス産業は自動車産業のように賃金の安い海外に生産拠点を設けることができない。つまり利潤の源泉となる辺境を持ち得ない。
資本主義の隆盛は製造業の隆盛だった。第3次産業が第2次産業に代わって経済の牽引車になったとき、資本主義は下り坂に入った。