ニュース日記 788 コロナをめぐる科学と権力とイデオロギー

30代フリーター やあ、ジイさん。五輪開催を目指す政権に対し、コロナ分科会長の尾身茂が「普通はやらない」などと発言したことをめぐって、御用学者たちも五輪に反対せざるを得なくなったとか、政権は都合にいいときだけ専門家の話を聞くのか、といった声があがっている。

年金生活者 問題の本質はそこにはなく、政権や与党の「政治権力」と医師会や病院業界、専門家などの「医療権力」の対立が五輪をめぐって先鋭化しているとらえるべきだ。

 菅義偉に代表される「政治権力」はこれまで、コロナ対策で、分科会を代弁者とする「医療権力」に押されてきた。GoToキャンペーンで押し返そうとしたこともあったが頓挫した。ところが、五輪だけはおのれの意志を押し通そうとしている。IOCという「国際権力」が撤退を許さないからだ。どうせ中止にできないなら、少しでも観客を入れて盛り上がりをはかり、政権浮揚に利用したいと菅らは考えていると推察される。

30代 IOCはそんなに強い力を持っているのか。

年金 IOCは莫大な放映権料収入を各国の競技団体に分配し、その運営を支えている。財政力の乏しい団体はその分配なしにはやっていけない。もし日本政府が五輪中止を言い出そうものなら、IOCは日本の諸団体への分配をやめると言い出すかもしれない。それを恐れる政府は彼らに逆らえない。

 IOCの幹部らは東京五輪について「(緊急事態宣言下でも開催)する」(副会長ジョン・コーツ)とか、「菅首相が中止を求めたとしても、それは個人的な意見に過ぎない。大会は開催される」(元副会長ディック・パウンド)などと平然と言い放っている。

30代 医療界のほうはIOCに遠慮しなければならない理由はない。

年金 これまで国民に外出の自粛を促し、イベントの中止、縮小、入場制限、無観客開催などを求めてきた「医療権力」としては五輪だけ例外にするわけにはいかない。でないと、権力としての自己否定につながる。「もし(五輪を)やるのであれば、規模をなるべく最小化して、管理体制をなるべく強くする。いまの状況で(五輪を)やるというのは、普通はない」と国会で発言した尾身茂は一貫している。急に政権への忖度をやめ、物申すようになったというわけではない。

 もとをただせば、政権が五輪だけをコロナ対策の例外扱いしようとしていることから始まったことだ。それも政権の主体的な選択というよりもIOCを恐れてのことだ。「医療権力」対「政治権力」「国際権力」のせめぎ合いが続くなかで五輪は強行されるだろう。

30代 五輪をめぐる対立にも見られるように、コロナの対処法をめぐる見解の違いがイデオロギー的な対立を引き起こしている。

年金 私はそれを「コロナ左派」と「コロナ右派」の対立と呼んでいる。前者はゼロコロナを目指し、後者は経済への打撃の軽減を目指す。その背景には「医療権力」と「政治権力」のせめぎ合いがあり、左右の対立はそれを反映したものだ。

30代 科学的に判断し得るはずのコロナへの対処がイデオロギー対立を引き起こすのはなぜなんだ。

年金 自然科学上の知見が党派性を帯び、その違いが政治的な対立を引き起こす例はコロナに限らない。反原発派は左派・進歩派に多いし、原発容認派は右派・保守派に多い。原発への賛否はいまや科学的な知見の違いにとどまらず、それ自体が党派を分ける指標にさえなっている。環境問題にも同様のことが言える。

 コロナ左派とコロナ右派にせよ、反原発派と原発容認派にせよ、脱炭素派と温暖化懐疑派にせよ、両者に共通しているのは、ともに自然科学を主張のよりどころにしていることだ。つまり医学であり、原子力工学であり、地学や生物学だ。

 同じ対象に対する複数の異なる科学的知見の中から、自派の主張を裏づけるものを選んで、それだけを強調する。これはあらゆる対立に見られる現象であり、科学に限らず、さまざまな分野の知見が根拠として動員される。

30代 科学とイデオロギーは科学と宗教のようにいちばん遠い関係のひとつのように見えるが。

年金 科学がイデオロギー上の主張の根拠にされやすいのは、科学が信仰に近い信頼を人びとから集めているからだ。とりわけ人の命がかかわる場合それが顕著であり、原発事故や新型コロナで私たちはそれを目の当たりにしてきた。そうした状況のもとでは、自然科学の専門家の科学的な知見の表明も、当人の意図とはかかわりなく、政治的な党派性を帯びることを完全には免れることができない。

 科学的な知見の政治化は主として左派・進歩派から仕掛けられた。源流は啓蒙思想、理性信仰を掲げてフランス革命を主導したジャコバン派など当時の左派・進歩派にさかのぼる。それはやがて「主義」に「科学」の名を冠した「科学的社会主義」を標榜するマルクス主義に受け継がれ、ロシア革命のイデオロギーとなった。

 東西冷戦が東側の敗北に終わり、科学的社会主義が国家的な基盤を失ったあと、代わりに出てきたイデオロギーがエコロジーであり、反原発であり、ゼロコロナにほかならない。