がらがら橋日記 かたづけ3

 箪笥や書棚など家具を十近く解体し、そこと押し入れとにぎゅう詰めにされていた衣類や本や小物を捨て、どうやら出口が見えてきた。ここまで費やした時間と労力を思うと、亡き両親につい小言を思い浮かべたりするのだが、

「そら、おらのだないで。お前のもんだねかや。」

と言われてしまうものも出てくるので、てへっ、と舌を出して、

「まあ、二代分の終活ってことで。」

とあの世の両親に言い訳をしつつ作業を続ける。

 妻に言わせると、取り憑かれたようにかたづけをしているので、ご近所から期せずして同情を買ったりする。年寄りばかりの町内になっているので、当てつけになっているかもしれないなあとも思う。

「うちもゴミ屋敷ですわ。でもかたづけは、私も主人もとてもできんと思います。ようされますねえ。」

 確かに、自分が想像していた以上の重労働ではある。仕事を続けていたら、とてもじゃないが無理である。ええ、まあ、などと相づちを打っていたら、その奥さんにとっても重要事項であるらしく、話が続いていく。

「おばあちゃんも、自分が死んだら業者にかたづけてもらってくれって言っています。」

 ぼくも当然それは考えて、調べもした。経費もかなりかかるので、業者に依頼すれば済むといった単純な話ではない。ぼくの場合は、退職して時間があることと、こつこつと肉体労働を続けて、自身の健康保持と経費節約の両得をねらうこと、かたづけながら実家と自分の行く末を考える機会にすること、などなど考えて自分ですることを選択したが、それをしたくてもできない人が少なくないだろうとは容易に想像が付く。恵まれているのだと気づく。

 ついに処理総量が二トンを超え、処分場のおじさんには、広い家だねえ、とこれまた半笑いでからかわれるに至る。持ち場が変わって受付で顔を合わせないときは、わざわざ向こうからぼくの姿を見ると声をかけに歩み寄ってくるおじさんなので、腹も立たない。

「今日も来られましたな。」

「毎日来ないと気が済まんようになりました。」

 二人で声を上げて笑う。毎日ゴミと付き合うプロにしてみれば、ぼくが何をしているのかなんてお見通しに違いない。彼流で励ましてくれているんだと思う。処分場通いが重荷でなくなるように。

 実家には、ずいぶん隙間が生まれた。風の流れが目に見えるようだ。掃除機の鼻先を突っ込むのが精一杯だったところを裸足になって雑巾がけをした。