がらがら橋日記 かたづけ
これは勤務なのだ、と思うことにした。朝、今までと同じ時間に家を出て勤務先に向かう。別にそんなに早くする必要などないのだが、通勤ラッシュを避けるためなのと、どうせしなきゃならないのなら早いうちにやってしまいたくなる性格による。
職場である実家に着くと、ラジオのスイッチを入れる。テレビはどうせ見ないので、撤去してしまった。しばらく一日の仕事のシミュレーションをし、およそ定まったら仕事開始である。業務内容はかたづけ。遺品整理と言えなくもないが、不用品の廃棄処理と何ら選ぶところはない。今日はここからここまで、と思い定めた場所のそれを片っ端から袋に詰め、紐をかけ、解体していく。ある程度たまったら玄関先に並べ、車に積み込む。車一台がやっとの狭い道路での作業のため、素早く積み込まなければならない。ベビーカーを伴った近所の若いお母さんが脇を通る。散歩の時間とおぼしく、連日同じような状態であいさつを交わす。にこやかにしているが、視線の先に積載前の不用品の山があるので、今日もやってる、と思われているのだろうなあと思う。もう少し親しくなったら、まだ当分続くのだと教えてやろう。
不用品の積み込みといえども、可燃、不燃の別にしないとあとで手間がかかるので、闇雲にはできない。積めるだけ積むと、処理場に向かう。午前中は、トラックに混じって、ぼくと同じような乗用車での搬入も多い。ちょっとしたラッシュだ。あの車は前も見かけたぞ。ひょっとするとぼくと同じ職務ではないだろうか。
「あなたも実家のかたづけですか。」
話しかけたくなる。
ここからは空想である。
「そうなんですよ。あなたも。いやあ、大変ですなあ。よくこんなに取ってあったと呆れるやら、うんざりするやら。」
「まったくです。銀行や新聞の粗品タオルだけでも、ナイロン袋に入ったままのが後から後から出てくるんです。もう何十年も前の会社名だったりして。」
「紙袋も、紐も、下着やら服やら、ここまで捨てることに抵抗するってのは、一種の信仰、マインドコントロールってやつですかね。」
ゲートをくぐるまでの一人遊びだ。
半世紀の保管を経た物たちも、捨てるときは一瞬だ。家では大きな顔をしていても、巨大なコンベアにのみ込まれるとすっかり萎縮してしまっている。捨てた分だけ実家の空間が広がっているはず。どんなにわずかだろうと、それがぼくの労働の対価である。