専業ババ奮闘記その2 送り迎え③

 平日は二人の孫を保育所に送り迎えし、土曜日は娘が三人の子を連れて我が家に来るという日々が半月ほど続いた。そうした中、新型コロナウイルス感染がじわじわと広がりを見せ、二月末には、首相が全国の小中高等学校に週明けから休むようにとの要請をする。点訳勉強会、手話教室、合気道の稽古もみな中止となった。

 そんな折、義母がベッドの柵に手をつき損ねて転倒。整形外科で診てもらうと、圧迫骨折とのこと。ようやく三か月前の圧迫骨折が落ち着き、手すりを伝って歩くようになっていたのに、また逆戻りだ。起こすのも寝せるのも夫と二人掛かり、移動は車椅子、またまた介助の度合いが増えた。

 二男は、老朽化した施設での作業で夏が来る度に「もう耐えられない」と言い続けて数年、ようやく新しい施設が建ち、快適に仕事ができると張り切っていたのに、二番目に古い職場に異動になってしまった。

 長男には三月になったら会いに行くと言っていたが、新型コロナの広がりに加え、義母の介護があり、行くことができなくなった旨をメールすると、「花粉症がひどいのに、マスクが手に入らない」とのこと。行くことはできないので、せめてマスクを送ってやろうと、家じゅうのマスクをかき集めて送った。

 娘が、「そろそろ、自分で送り迎えをしようかと思って。ただ、水曜日は歯医者を予約してるけん、その間宗矢を預かってくれる。多分一時間くらいで終わると思うに」と言う。水曜日の朝、車椅子に乗せた義母をデイサービスに送ると、すぐに娘は宗矢を預けにやってきた。寛大と実歩を保育所に連れて行き、一旦帰って宗矢に乳を飲ませた後、通いつけの歯科へ向かった。いつものことながら、娘が言う時間は当てにならない。二時間後にようやく戻ってきた。宗矢は寛大や実歩の時ほど大泣きはしない。我が二男が産まれた後、年を取ってからの子だから、あまり親に手を掛けないように育ってくれていると話していたが、何の何の、歩きだしてからが大変だった。宗矢はどうなるのかな。