ニュース日記 781 ひきこもりは何を生むか
30代フリーター やあ、ジイさん。新型コロナウイルスの流行で外出の自粛が広がったとき、「いのち支える自殺対策推進センター」(一般社団法人)に自殺を考える人たちから「社会全体が自分と似た状況になり、気持ちが楽になった」という声が寄せられるようになったそうだ(朝日新聞デジタル、4月10日)。
年金生活者 そこから推知できるのは、たとえばひきこもりは他者を避けながら他者を切実に求める行為だということだ。
もしひきこもることが他者とのかかわりを一切拒むことだとすれば、「社会全体が自分と似た状況にな」ろうとなるまいとどうでもいいことで、「気持ちが楽になった」りすることもないだろう。ひきこもるという行為が、他者あるいは社会との同調、つまり強いかかわりを希求する行為でもあることをそれは示している。「ヒトは社会で生きることを尋常でないほど切望する動物なのです」(ダニエル・コーエン、『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来』から)
ただし、ひきこもる人間が求める他者あるいは社会は、いま現に存在する他者あるいは社会ではなく、自分が理想とする他者あるいは社会だ。そのひとつが「自分と似た状況にな」った他者あるいは社会にほかならない。だが、他者全員、社会全体がひきこもりになることはあり得ない。あるとすれば、ひきこもることとひきこもらないことを同等に扱う他者あるいは社会ということになる。それはひきこもる個人を超えて社会の理想になり得る。
30代 ひきこもる、ひきこもらないの差は何だ。
年金 他者をめぐる現実と理想の分裂の深さが人をひきこもらせる。生誕時あるはその前後に負ったトラウマの深さがその分裂を深くする。
生誕とは母胎の楽園を追われて荒れ野に放り出されることであり、快感と万能感に代わって不快と無力感に支配されることを意味する。そのときの楽園と荒れ野の落差がもたらす衝撃がトラウマを生む。そのとき、あるいはその前後に、別の衝撃が加わると、その落差はいっそう大きくなり、トラウマは深まる。別の衝撃として想定されるのは、生まれたばかりのときに過って床に落とされたとか、胎内にいるとき母の感情が乱れることが多かったとか、生まれたあとの授乳がよく途切れたとか、といったことだ。
ひきこもりがはらむ現実の他者と理想の他者との分裂の深さは、荒れ野と楽園の落差の大きさを反映したものだ。ひきこもる人間は理想の他者として、母胎としての母を求めているといってもいい。そこには個人としての他者は存在しない。つまり現実の他者はいない。母胎とは全宇宙でもあるからだ。
30代 ひきこもりは消費するだけで生産しないと思われている。
年金 吉本隆明はそれに異議を唱え「一人でこもって過ごす時間こそ『価値』を生む」と語った(『ひきこもれ』)。
それはどんな価値か。商品を生産しているわけではないから交換価値ではない。自給自足をしているのでもないから使用価値とも違う。ひきこもってだれとも話さず、自分とだけ話しているうちに生まれてくるのは、自分が何者であるかという自問であり、それに対する自答だ。
それはおのれのトラウマがわかってくることでもある。トラウマは宿命と言い換えてもいい。それを知ることが自分のアイデンティティーを形づくり、それが他者との対話の土台ともなり得る。それは価値と呼んでいい。
30代 たいていの人間はひきこもることなしにその土台をつくる。
年金 吉本はこう言っている。「世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。学者や物書き、芸術家だけではなく、職人さんや工場で働く人、設計をする人もそうですし、事務作業をする人や他人にものを教える人だってそうでしょう」(『ひきこもれ』)
そしていつも人前に出ているように見えるテレビのキャスターについても「皆が寝静まった頃に家で一人、早口言葉か何かを練習していたりするのではないでしょうか。それをやらずに職業として成り立っていくはずがない」と指摘している(同)。
30代 「一度はひきこもって技術や知識を身につけ」る作業は自らを労働力として再生産することだ。それに励む人たちと、そういうことをしないでひきこもる人たちは対照的な存在と見られている。
年金 ひきこもるという行為は、自分が何者であるかをめぐる自問自答を通しておのれのアイデンティティーを形成する作業だから、アイデンティティーを生産していると言ってもいい。労働力の生産はすでに形成されたアイデンティティーに新たな要素を加えることなので、部分的、一時的なひきこもりで済む。これに対して、ひきこもる人たちはいまだ形成されていない自分のアイデンティティーを一から生産しようとしている。それには部分的、一時的なひきこもりでは間に合わない。その人たちは大多数の人びとが生涯の早い時期に形成するアイデンティティーを何らかのトラウマに妨げられて形成できなかったと考えることができる。