がらがら橋日記 濁り酒
4月1日、老父と妻と三人で、料亭に出かけた。外で飲むなどいったいいつ以来だろう。
職場の飲み会はこの一年以上一切やっていない。送別会も2年連続でキャンセルした。今年のそれは自分が送られることになるので、人に頼むことも考えたが、それしきのこと人を煩わすまでもない。自分で予約をし、少々の打ち合わせもした。交渉しながら、自分がスピーチしたり、胴上げされたりしているところが浮かんでくるのには苦笑した。これをまた自分でキャンセルすることになるとは、そのときは夢にも思わなかった。
今年の退職者は珍しくぼく一人だった。何だかコロナの一本釣りにかかったようで、どことなくさびしい気もしないではなかったが、気恥ずかしいセレモニーを回避でき、ほっともした。宴がないからといって惜別が表せないなんてことはまったくない。負け惜しみっぽいが、今回そのことがよくわかった。
京橋川にせり出すように設えられた八畳敷きに腰を下ろすと窓の向こうの川面に夕日が落ちるところだった。いつもならまだ仕事をしている時間だ。川沿いの道路をひっきりなしに車が通る。昨日まで勤め人同士だったものが、まるでよその土地の日常を眺めているようだ。ガラスをばらまいたように光を散らす川面を眺めながら、この光景をぼくはずっと忘れずにいるのじゃないかと思った。
料理はどれもおいしかったし、ちょっと奮発したせいもあり酒もうまかったので、九十二才になる父もよく飲んだ。メニューにはないがいい濁り酒が入っている、と言う店員に乗せられて追加すると、
「こらあ、いい酒だ。」
と自分で継ぎ足した。まだ戦後の色濃い勤め始めのころ、母の実家で密造していたどぶろくを職場で振る舞うと、
「これは宮森君が持ってきてごした、ててえらい喜ばれてのう。」
などと初めて聞く話を楽しげにした。
父と酒についての思い出など、母の嘆きを含めてろくでもないものばかりだ。だが、一度家で甘酒をこしらえたとき、それが何がどう発酵したものかアルコールが生じたようで、ちっともうまいとは思えぬそれを父ばかりちびちびと飲んでいた。あれは、昔上役を喜ばせた密造酒を思い出していたのか。
飲み会がすべてなくなったことで、ぼくは父と飲む機会を得た。もしかすると医学的には大罪を犯したのかも知れないのだが、これから濁り酒を口にするたび、上機嫌の父を思い浮かべることになりそうだ。