専業ババ奮闘記その2 送り迎え①
一か月振りに帰る我が家に、どんな顔をして入るのだろうと寛大と実歩を玉湯の家に連れて入る。何のことはない。毎日繰り返していることのように、違和感なく、「ただいま」と玄関を開けた。そう、ジジババの家は、仮の住まいに過ぎなかったのだ。安堵すると同時に、少し寂しい思いも。
翌朝は、五時過ぎまでぶっ通しで眠った。昨夜までは、夜中じゅう動き回る寛大と実歩に風邪をひかせまいと、常に神経をとがらせていたということだ。朝食準備から義母の身の回りの世話を済ませ、デイサービスの送りは夫に任せて玉湯に向かう。寛大と実歩を保育所に連れて行くのだ。
産後一か月の娘の身体の負担を減らすために、当分は寛大と実歩の保育所送り迎えを夫と交代ですることにした。生後一か月の宗矢も、寒い中、送り迎えの度に連れ出されてはたまらない。風邪でもひいたら大変だ。保育所送りを私がすれば、夫は義母のデイサービスの送りをする。夫が保育所送りをすれば、私が義母をデイサービスに送る。迎えはすべてが逆になるという風に夫と分担した。
娘たちが家に帰って初めての土曜日は、朝から夕飯の支度までし、義母をデイサービスに送り出してから玉湯に出かけた。娘が育児休暇中なので、土曜日は保育所で預かってくれない。まだ体の整わない娘に、赤ん坊の世話から、寛大、実歩の世話までは負担が大きすぎる。それで、一日子守の手伝いに来たわけだ。
着いたら宗矢は眠っていた。私が宗矢をみている間、娘は寛大と実歩を連れて買い物に出かけた。宗矢はちょっとぐずったものの、揺らすとまた眠ってくれ、助かった。
お昼はオープンサンド。私は二切れ、実歩は三切れ、何と、寛大は六切れをぺろりと食べた。実歩はともかく、宗矢もぷくぷく膨れだし、どうやら、娘に似て寛大も宗矢も大食漢になりそうだ。
この日常に、じわじわと押し寄せる脅威があった。年末に中国武漢で発生した新型コロナウイルスが日本にもやってきて、感染が広がりつつあるのだ。