がらがら橋日記 退職あいさつ状

 3月31日、「定年により退職した」と一行だけ記された辞令をもらった。

 以前役場に勤めていたとき、退職を控えた職員が最後の数カ月をすべて年休にして早々とリタイアしていくのを、だれも何も言わないのに驚いたことがある。みんなそうするものと決まっているのだと感じた。

 これまでずっと年休などほとんど取ってこなかったので、最後ぐらい一矢を報いてやろうかと思いもしたが、結局最後の日まで目一杯働いた。年度替わりは、送られてくる文書も格段に増えるので、休んでいる場合ではなくなってしまったのだ。件の辞令も事務仕事に追われているときに不意打ちのようにして受け取った。何の感慨もなく、こういうのもらって終わりなんだ、と知識を一つ増やしただけのことだった。

 このごろ何かと話題なのが、文科省が発信元になったSNS「♯教師のバトン」で、教師という仕事の魅力を寄せてもらうはずが、その意図とは真逆の過重労働を告発する声が圧倒したそうだ。4月9日付「天声人語」でも取り上げられていた。中に、「明日で退職です。若い頃は朝から晩まで働きました。今思うと、失ったものがあまりにも多かった」という引用があった。おそらくぼくと同じ年齢の教師が3月30日に書き込んだのだろう。教員生活の決算をマイナスと自身に報告した心中を思うと切ないことこの上ない。3月30日にさえたどり着けず命を失った同期もいるし、病院で迎えざるを得なかった者たちの顔も浮かぶ。大きすぎる代償を払った人たちは、ぼくの周りにも確かにいる。

 ぼくはといえば、それを読んで、これまで失ったものを数えたことがなかったということに気づいた。挙げろと言われればできそうな気もするが、ならば得たものも挙げなければ決算とはならない。それに収入と支出、見方を変えれば反転しそうなものもある。

 4月1日から、退職のあいさつ状を書き始めた。送り先のほとんどが学校職員なのだから、型をなぞったところでしかたがないし、仕事を辞めて時間があるということは、こういうところに時間を割くということでなければならないと思うので、一枚一枚手書きで書くことにした。一人一人顔を思い浮かべれば言葉は自然と湧いてくる。ぼくにとって収入であった証拠、領収書である。

 一週間かかってあらかた書き終えた。けっこう高揚した。返事も届いた。「今までできなかったことを満喫してください。」とある。「はい。皆さまのおかげで4月1日からあいさつ状書きで満喫させていただきました。」