専業ババ奮闘記その2 里帰り④

 義母百歳の誕生日、いつもの年通り、赤貝ご飯を炊き、四世代となった我が家でささやかに祝った。ゴールデンウィークに長男が帰った際、すでに皆で祝いをしている。その前のゴールデンウィークに長男が帰った時は、白寿の祝いで、宍道湖のほとりの料亭で宴を設けた。年を取ると、毎年のようにお祝いだ。

 翌朝、義母は誕生日祝いにあげたジャンバースカートと上着を着てデイサービスに出かけた。それから、寛大と実歩を保育所に送り、その足で畑へ。収穫だけして帰り、宗矢を風呂に入れ、昼食を摂ってから娘に付き添い、産院に向かう。前日の健診で、体重は標準の増加率を大きく超えるほど増えていたので安心していたところ、スクリーニングで一つ引っ掛かり、再検査になったのだ。

娘が泣くので、「あんたは一か月健診で股関節脱臼だと言われたよ」と言った。それに続けて、長男は生後一か月から咳や喘鳴が出るようになって度々病院へ連れて行き、満一歳の時には鼠経ヘルニアの手術したこと、二男は一か月健診で心雑音があると言われ、子ども一人ひとりに心配事があったことを話す。「みんないろいろあったけど、あんたが一番大変だったかな」と、思い出話が掘り下げられていく。一歳半の時に熱性けいれんを起こし、脱水症状で入院、五歳の時にはヘルペスによる高熱で二週間入院、その後再び熱性けいれんがあり、以来定期的に脳波検査をし、数年間薬を服用したこと、併せて、卵と大豆の食物アレルギーがあり、保育所の給食の献立表をチェックしながら卵と大豆の除去食を就学前まで持たせ続けたことなど。「そうだね」「そうだったよね」いつもとは逆に聞き手に回った娘が、時々相槌を打ちながら頷く。ん?そうだ、この光景、実歩の健診の後でもあっている。実歩も同じ項目で再検査を受けたのだ。再検査結果は異状なしで安心したのだが、一度経験していても、心配はまた新たなのだ。

 採血を終えて我が家へ帰り着く頃にはいつもの娘に戻り、よくしゃべるようになっていた。しかし、結果が出るまで、娘は胸の裡にしこりを抱えたままでいるのだろう。