人生の誰彼 3 宮島

 津和野町出身の画家、安野光雅さんの訃報を聞き、四年前の正月に松江の一畑百貨店で開催されていた作品展に足を運んだことを思い出しました。

 『安野光雅のスケッチ旅行』と題されたその作品展には、中国地方を旅しながら描かれた風景画が数多く展示されていました。安野さんの絵は観るほどに心が暖まり、子どもの頃の郷愁を呼び起こすような優しく懐かしいような筆のタッチに魅了されてしまいました。

 しかしその中で広島の『宮島』を描いた作品からは、他にはない異質な雰囲気を感じ取ったのです。肝心の絵よりも、その横に付された説明文が気になって仕様がなくなってしまったのです。それは宮島にまつわる奇妙な物語でした。二回ほど繰り返し読んだ後、再びその場に戻って改めて読み直したほどです。全作品を観賞し終わった後も、私はその宮島が心の隅に引っ掛かったまま落ち着かず、併設された売店で件の絵と文章が掲載された作品集を買い求めました。そして帰宅してから、早速宮島の頁を開いたのです。

 それは大まかに次のような内容でした。昔の話ですが、安野さんの弟さんに親しい女性がいて、その方があるとき弟さんの前に現れて〔父の意向で明日結婚式をすることになった〕と別れを告げたのだそうです。それから何十年か後、安野さんにその女性と思しき人物から電話があり〔相手が亡くなって自由になったので、弟さんがどうしているか気になってお兄さんの電話番号を探した〕と言うので〔弟は元気ですが連絡はできません〕と答えたのです。そしてその女性は電話を切る前に〔宮島口にいます。宮島口です〕と言われたと。ですがそのとき弟さんは大病で入院されていて、電話のことはご本人には伝えなかったのだそうです。

 この文章を読んでから宮島の絵を見ると、不思議なことに暖かいはずの安野さんの絵がとても無機質で冷たいものに感ずるのです。時折作品集を引っ張り出して頁をめくると必ずこの宮島で手がとまります。

 その女性はどんな了見でそのような電話を安野さんにかけてきたのでしょうか。安野さんはどんな思いでこのスケッチを描いたのでしょう。そして弟さんは・・・。意識が宮島の中に入っていって堂々巡りを始めるのです。