がらがら橋日記 思い出話

 講演後しばらくして、聴講職員のメッセージ集をもらった。表紙に花束をあしらった折り紙が貼られていて、一足早く退職日を迎えたような格好だが、中身も外見もこしらえるのにかかっただろう手間暇を思い、ぼくのために時間を割いてもらったんだと申し訳なく思った。

 講演やら公演、研修後のアンケートがどうも苦手だ。何を書いていいやらさっぱり思いつかず、しどろもどろでいるうちに時間が来ることの繰り返し。だから強制されない限り書かない。そういえば読書感想文がそうだった。読んだ、その満足感ですべてだ。言葉を添える必要がどこにあるのかまったくわからないから、いやでいやでしかたがなかった。

 話の中身は何でもいいと言われていたが、図書館研修とうたわれていたので、本と関係する話を選んだ。自分のしたこと、見たこと以外を話すつもりはなかったので、これまで県内各所暮らした先での出会いやら出来事を本でつないでみた。物を使って来し方を振り返ってみるなどということをしたことがなかったので、改めて読んだ物にせよ書いた物にせよ、つなぎつながれ、飛ばし飛ばされして我が身の今を作っているものよと思えて、自分でこねくり回していると楽しかった。

 散らかった話になってしまうのと、自分がいやだからという理由で、職員に感想を書いてもらうなど滅相もないとは思うものの、そんなことをくどくどしく言うのも野暮ったく、企画職員にお任せしていたら、件のプレゼントとなった。

 無理して感謝なんぞ書いてあったらまた自分を苛むことになるぞと思いつつ読んでみると、けっこうな人が自分の思い出話を書いていたのでほっとした。ぼくの話を聞きながら自分の過去がよみがえってきたらしい。そんなことをねらってはいなかったが、愚かしくも懸命にしていたその時々のことを話せば、聴者の同じような体験が掘り起こされるのだろう。話した甲斐があったというものだ。本で言えば、行間を読むことと同じだから。

 言うまでもないことだが、だれだって生活の苦労はある。教職員であれば、子ども、保護者、同僚との間での喜怒哀楽は、日々数え切れない。そんな痛かったり痒かったりを「聞いてください」と書いてある。おうおう、聞きますよ、聞きますとも。こんなことでもなければお互い知らなかった話、もっと早くにするべきだったなあ。

 気がついたときには、もう後がない。でも後があるときは、気づけない。