ニュース日記 769 トランプがあぶり出したもの
30代フリーター やあ、ジイさん。バイデンの大統領就任を阻もうと連邦議会を占拠したトランプ支持者らに世界中から非難が集まっている。
年金生活者 議会の占拠という「戦術」そのものを「民主主義に反する」といった理由で非難する気に私はならない。60年安保で国会に突入した学生たちに共感を覚えたひとりとして、大学をバリケード封鎖した当事者のひとりとして、そして台湾の立法院を占拠した学生たちを支持したひとりとして、そう思う。
この事件について藤沢数希という覆面作家が「さすが、民主主義の国や」とツイートしていた。「民主主義の国」でない中国や北朝鮮では、こんなことは起こり得ない。北京の人民大会堂や平壌の万寿台議事堂がデモ隊に占拠される光景は空想すらできない。
60年ほど前に学生たちが国会構内で集会を開くことができたのも、半世紀前に全共闘の学生たちが大学に籠城できたのも、7年足らず前に台湾の学生たちが立法院を占拠できたのも、そしてトランプ支持者らが連邦議会になだれ込むことができたのも、議会や大学という公共の施設が独裁者のものではなく、国民のものだという民主制の理念があったからだ。だから警備も中国などよりはるかにゆるかった。
つまりどの場合も民主主義が機能していた。ただし、それは十全なものではなく、形骸化の危険をはらむ不具合を起こしており、それが「非民主的」な物理力の行使を誘発した。60年安保では与党による強行採決が国民の怒りを買った。大学では民主主義を説教する教員と学生との間の厳然たる身分格差が全共闘の「大学解体」運動を広げた。台湾では与党国民党による一方的な審議打ち切りが学生たちを反発させた。
30代 アメリカの民主主義にはどんな不具合があるんだ。
年金 フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドが言っている。「ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコなど大都市のメディアや大学のエリートは、トランプ支持者を『学歴がない』『教養がない』と馬鹿にし、ヒラリー本人も、『嘆かわしい人々(deplorable)』とまで言いました」(「それでも私はトランプ再選を望む」、『文藝春秋』2020年11月号)
トランプは4年前の大統領就任演説で「私たちは、首都ワシントンから権力を移し、国民の皆さんに戻すのです」と語った。富の稀少性の縮減によって国家から個人、企業、国家間システムへの権力の分散が進む中で、分散した権力を手にしたアメリカ国民は、それにふさわしい処遇を求めているのに、それをワシントンのエスタブリッシュメントが阻んでいる。トランプは終始そのことを別の言葉で訴えて熱狂的な支持者を獲得した。
30代 ツイッター社はトランプのアカウントを永久停止した。議会占拠事件のあと、彼は「私に投票してくれた偉大な米国の愛国者たちは、将来にわたって巨大な声を持つ」「大統領就任式には出席しない」とツイートしており、同社は「米国内の緊張状態などを考慮し、この二つのツイートが、暴力の誘発を含め人々をさらに動員するおそれがある」とする声明を出した(1月10日朝日新聞朝刊)。
年金 「永久」はいくらなんでもやり過ぎだ。ツイッター内での死刑宣告に等しい。暴力をそそのかすような具体的な文言もないのに、暴力誘発の恐れと決めつけるのは、近代社会の司法の標準から逸脱しており、香港国家安全維持法による民主派の弾圧さえ連想させる。
30代 民間企業を国家権力と同列には論じられない。
年金 ツイッターはすでに世界中の多くの人々にとって日常的に使用するインフラと化しており、公共性を帯びている。それどころか、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルなどはこのSNSを「新しい全体主義」の主体とみなしている。彼は次のように語っている(2020年9月2日朝日新聞デジタル)。
「私は全体主義の特徴の一つを、公的な領域と私的な領域の区別の喪失として考えています。20世紀の歴史を振り返れば、日本の過去もそうでしたが、全体主義化すると、国家が私的領域を破壊していった。私的領域とは、より分かりやすく言えば『個人の内心』ですね。国家は監視を通じてそれを探り、統制しようとしました。 一方、現代は違います。監視・統制の主体は政府ではなく、グーグルやツイッターなどに代表されるテクノロジー企業です」
「私たちはいま、SNSなどで私的な情報を自らオンラインに載せ、テクノロジー企業がその情報に基づいて支配を進めています。しかも自発的に私たちは情報を提供しています。一方、国家はこうした企業に対して規制をしようとしても手をこまねいている」
30代 GAFAやツイッター社に代表される巨大IT企業が「新しい全体主義」の主体だとしたら、それに対抗できる方法はあるだろうか。
年金 絶対王政を倒した市民革命に相当するようなことがネット上で起きるのか。市民社会を代表する議会が官僚組織に対抗する装置として国家の中に誕生したように、巨大IT企業に対抗する仕組みが生まれるか。答えはガブリエルも出していない。