がらがら橋日記 寒波到来
3学期は、臨時休校で始まった。松江の積雪はさほどでもなかったが、数年に一度の寒波と繰り返し言われたごとく、風雪と低温は久しぶりの厳しさだった。
以前暮らした奥出雲は豪雪地帯だったので、毎年恒例のように大雪を経験した。今回は一メートルを超える積雪に見舞われていると聞いた。
深夜ふと目が覚める。起こすのは、除雪車の微かな振動を伴う低いエンジン音とギアをバックに入れた際の甲高い警告音だ。それらが聞こえ始めた時間と警告音の間隔で、およその積雪量がわかる。睡眠不足のぼんやりとした頭で「今日は何曜日だったか」とまず考える。平日ならばため息をつき、あとどれほどで起き出すか計算を始める。車に積み上がった雪を落として運ぶのにどれくらいかかるか見当をつけねばならない。通勤時間だって倍で済むものやら。
雪質によっても作業にかかる時間は異なる。粉雪ならば軽くはあるが、異常な低温が起き出すのにも負荷をかけてくる。一度は、たっぷりと水気を含んだ雪が一気に積もったことがる。スコップを当てて穴を開けると発光しているかのように青い光が乱反射するのだった。その美しさに見惚れつつもずしりと重い雪に関節がきしんだ。雪も実にさまざまだ。
「よくやってたよね。」
窓の外で吹き荒れる粉雪を見ながら妻が言った。除雪車に起こされることもないこの町で暮らすようになって4回目の冬、何時間も早く起き出して雪かきせねばならなかったことなどずいぶん前のことに思えてくる。体が覚えていた一つ一つの作業もすっかり剥がれ落ちてしまっているだろう。
「若かったってことかな。」
「かもね。」
あのときも今も、雪かきをしているのはほとんどぼくたちよりもずっと年上の人たちで、とてもその前で言えることじゃないのだけど、強いられでもしない限り、雪との力の差は年ごとに広がるばかりだ。
「行けるものなら行ってます。雪のないところへ。」
雪かきの手を止めて、ぼくにそう言ったその人は笑っていなかった。今も、押し黙って雪かきを続けているのだろうか。
いや、待て。いい記憶だって並べないと雪に悪い。
すべての音が雪に吸われて寝静まる町。明日は滑り台をこしらえてやろう。家の前の無駄に急な坂がボブスレーコースみたいになるぞ。赤い橇にすっぽり収まって歓声を上げるまだ小さな子どもたち。どれ、お父さんにも。ああ、やっぱり若かったってことか。