がらがら橋日記 深夜ランニング

 このごろは、仕事に家を出るころようやく白々と明るくなってくる。冬至はもう少し先なので、これからもう一段暗くなる。早朝だったはずのランニングは、今はすっかり深夜のそれになっている。さらにジワジワと寒くなってくると、春が近づいて明るくなるのを一日千秋の思いで待つようになる。

 寒さは厳しくても、晴れ上がってオリオンなどが天空を圧していると気分は浮き立つのだが、いかんせん山陰の冬は曇りと相場が決まっていて、たいていは真っ暗闇の中を走る。これまで会釈を交わしていた散歩の老人たちは、夜明けの時間に合わせてシフトチェンジをするので、だれにも会わなくなる。ガサガサだのガラガラだの老人たちの立てる音もなくなり、となりを流れているはずの川もただ闇を流すばかりで、街灯を反射してようやくにそれと知れる。

 ほとんど無音の川が、ごくたまに「バシャン」と大きな音を立てることがあってビクッとする。ちょっと考えると水鳥の仕業だとわかるのだが、その瞬間は、「すわ、身投げか」と縁起でもないことを思ってしまう。

 この間は、走っているといきなりそばからぼそぼそと話し声が聞こえてギョッとした。何のことはない、学生たちが数人真っ暗なベンチで話していた。若者らしい生気でもあれば気づくはずだが、徹夜明けでくたびれていたのか、押し殺したような声でささやくのみで、隣に来るまで気がつかなかった。迷惑なのだが、自分も学生時代は、酔い覚ましに似たような行為を似たような時間にやったような気もするので、当時驚かせてしまっただれかに詫びるほかない。

 平日は仕方がないとして、週末は起床時間をずらして明るくなってから走ればよいのであるが、就寝起床の時間調節など、少し前まで苦もなくできていたことがまったくできなくなってしまった。起きているか寝ているか、人はどっちかであってそれ以外はあり得なかったのに、それがどうだ、起きているのでもない寝ているのでもない時間にお付き合いさせられるとは。そんなものいらないのに、加齢の特典で強制的に付与されるようなのだ。

 毎日わずかな葛藤をへつつも、寝る苦痛よりは起きる苦痛の方がましな気がして、ごそごそと支度をして走り始める。週末は長時間走るので、昨日は宍道湖畔まで足を伸ばした。うっすらと残った下弦の月を映した深夜の湖に漁り火をともした漁船が一艘。引き上げる網の重りが船縁をこすってカラカラと規則的な音を立てている。白魚漁か。宍道湖の恵みが次々浮かぶ。ちょっとばかり楽しくなってくる。