専業ババ奮闘記その2 産前休暇⑤
元日の朝、義母は不機嫌で、温めた部屋から出ようとせず、お節や雑煮を準備したのに、初めて家族が揃わない朝食になった。以前は、大みそかから新年にかけての番組を見て夜更かしをしても、朝食には着物姿で現れ、新年のあいさつをして家族揃ってお節を食べたものだ。さすがに九十歳過ぎてからは着物姿ではないものの、年の初めの朝は家族揃っていた。
正月明けに整形外科を再受診すると、ただの打ち身ではなく、圧迫骨折で全治二か月との診断を受けた。相当な痛みだったのだ。レンタルしている介護用ベッドなので、上体を起こしたり、上下に動かしたりできるものの、寝かすのも起こすのも、夫と二人掛かり。日中のトイレなど移動は車椅子、食事は自分でできるが、あとはほぼ全介助の状態になっている。
元日の夕方は、はち切れそうなお腹を抱えた娘が、忠ちゃんと寛大と実歩を連れてやってきた。車椅子に乗ったままの義母も会食に参加。すっかり機嫌が直り、ひ孫たちを眺めながら美味そうにお節を口に入れていた。
三が日が過ぎ、デイサービスが始まると、何とか機嫌を取って、行ってもらう。ベッドに寝せたり起こしたりは、ベッドの上半分を起こしたり戻したりすることで、一人で介助できるようになった。少しずつではあるが、痛みが軽減してきているように思える。出産までにはもっと楽になってくれるといいが。
七日、実歩の七五三の写真撮りも無事終えたようだ。「もう、いつ出てもいいわ。引っ越しの荷物もあらかた片付いたし、写真も撮り終えたし」と、娘。こっちは、気が気ではない。義母は、百歳という年齢もあって、襖を叩いては、「何で、こげん背中が痛いかいね」と度々聞く。その都度、「背骨の上から三番目の骨がぺしゃんと潰されたようになって、それで痛むんですよ」と繰り返す。この生活に、孫たちの世話が加わるのだ。
「破水してね、今から忠ちゃんに乗せてもらって病院に行くけど、寛大と実歩が寝てるけん来てくれん」の連絡が入ったのは、日付が変わろうとする十三日の深夜のことだった。