専業ババ奮闘記その2 産前休暇④

 寛大が生まれた時、私はまだ非常勤で仕事に出ていた。朝夕、娘の食事作りやオムツの洗濯はしたけれど、日中は家にいないことが多い。「お昼ご飯の時は、お祖母ちゃんが寛大を抱っこしてくれて、その間に食べたよ」と、娘が言っていた。九十歳半ばの義母は、デイサービスに通いながらもまだしっかりしていた。

 実歩が生まれる年の三月末、娘の里帰り出産で忙しくなることは分かっていたし、退職年齢に達していたこともあり、迷わず仕事を辞めた。五月二十八日の出産の立ち合いから始まり、出産後は寛大の面倒一切を引き受け、娘が実歩と我が家に来てからは、娘たち三人を含め七人となった我が家の家事をこなすことになった。「実歩を産んだ時は、お母さんが家にいてくれて、すごく楽だったわ」と、産休に入った娘が言った。娘は楽だったろうが、こっちは大変だ。寛大の身の回りの世話はもとより、情緒不安にならないよう気を遣い、おんぶや抱っこをせがまれると応じた。左側の腰に寛大を乗せて抱くことが多いせいか、左の腰が痛み出し、歩く際は脚を引きずるようになった。時間が空くと、娘の部屋に入り、置いてあるマッサージ機に身を投げ出し、背中から腰にかけて揉んだものだ。

 さて、今回は冬だ。私の寛ぎの場である居間の炬燵を取り払って、娘と赤ん坊に引き渡すことになる。休憩場所は娘の部屋しかない。年末の大掃除を兼ねて、居間の大掃除をし、寛大や実歩に読んでやる絵本やおもちゃの類を娘の部屋に移した。赤ん坊が生まれたら、寛大と実歩二人の世話をしなくてはならない。夜、焼酎をちびりちびりやりながら録画していた番組を見ることもできなくなる。それでも、少しでも楽しむ時間も確保すべく、着々と、私の居場所作りに勤しんだ。焼酎のちびりちびりはできそうにないけど、少しゆとりがある時はマッサージしながら、パソコンでDVDやCD視聴はできる。あとは、生まれたら炬燵を運ぶだけだ。

 そんな折、義母がベッド脇で滑り、立てなくなった。肺炎で入院した後、排泄、着替えなど介護することが増えてきたが、このタイミングでか。赤ん坊が生まれたら、どうなるのだ。楽しむ時間の確保など、できるのだろうか。