専業ババ奮闘記その2 虫博士①

 寛大、実歩が「すいかのおっつぁん」と名付けた我が長男は、保育所に通う頃には「虫博士」と呼ばれていた。二歳半頃に連れて行った鳥取砂丘では、砂丘に目もくれず、一匹の小さな虫をいじるだけで時を過ごし、サーカスを見に行った際は、捕まえていたトノサマバッタが逃げ出し、ただただトノサマバッタ探しをする羽目に。保育所の遠足が終わった後、貼り出された写真に一枚も写っていなかったのは、人のいるところではなく、虫のいるところだけを歩き回っていたせいだ。小学校に上がってからも、登校中に拾ったマツモムシを放さないので、見かねた先生が、水を入れたコップに入れ、机の上においてくださったという。

 虫のいる時季になると、虫、虫、虫、虫のいない冬には、飛行機、鳥、ウルトラマンと、年ごとにマイブームが変わり、虫への傾倒は小学校の低学年頃まで続いた。ファーブル昆虫記を読んでやると、フンコロガシ捜しに私や二男までが付き合わされ、三人とも、靴を牛糞まみれにしたことも懐かしい思い出だ。

寛大は、「すいかのおっつぁん」みたいに風変りではなく、ごく普通の男の子だ。でも、まわりの空気をほんわかとさせるところ、友たちと喧嘩にならないようふわりとかわすところ、そして虫好きなところなど、似ているところがある。「Tくんから聞いた」とよく言うので、虫については仲良しのTくんの影響があるようだ。

 畑に行くと、九月初旬に植えたブロッコリーの苗がやっと根付いたと思っていたら、スジだけになっていた。アオムシだ。以来、行くたびに、アオムシを見つけてつぶした。何とか葉が再生し、尽きることのないアオムシつぶしにかかっていた際、ふと思った。そうだ、寛大に持って帰って、アオムシから蛹、蛹から蝶へと羽化するところを見せてやろう。ビニール袋に葉っぱを入れ、五匹ほどアオムシを入れた。寛大、実歩を保育所に迎えに行き、アオムシの話をすると、家の戸を開けるなり「アオムシどこ」寛大が飛んで入った。