専業ババ奮闘記その2 スイカのおっつぁん④
長男の年二回の帰省は、また高速バスに戻った。たまに神戸に掃除に行った際は、朝六時半に自転車で出勤する長男を見送るということが何度か続いた。
「会社の車を譲ってもらって、こんどはそれで帰る」と聞かされた時は、ドキッとした。自動車免許取得からして躓きばかりで、ようやく自家用車を持ったのも束の間、免停で、半年も経たないうちに手放している。正直、息子には車に乗ってほしくない。しかし、もう車検も済ませ、乗っているという。会社で使っていた車だから、きちんとメンテナンスを施しているだろうが、相当古い車で、走行距離も三十万キロ近い。
義母の白寿の祝いをした年のお盆に、その車で帰ってきた。ハイブリッドで燃費はいいし、走行時も静かな車で、そこまで年季が入っているようには見えない。よほど、行き届いた手入れをしていたのだろう。乗せてもらうと乗り心地もいい。
翌年のゴールデンウィーク、我が家で義母の百歳の祝いをした際も、息子はその車で帰ってきた。古いながら、ちゃんと走ってくれているようだ。
ところが、その夏の帰省の際、つまり、息子が会社から譲り受けた自家用車での三度目の帰省の時、異変が起こった。
猛暑が続くお盆前の早朝、夜中に出たという息子は五時台に帰ってきた。いつもながらはらはらさせる息子だ。「スピード出さんかった」と聞くと、「もうあんな思いはしたくないわね」と答える。免停は相当堪えたようだ。今回は、一泊し、二日目の夜、早めの夕食を摂り、七時過ぎに息子は家を出た。
メールが入ってきたのは九時前。「エンジントラブルでJAFに連絡した」とのこと。出発した時刻からすると、蒜山あたりか。