がらがら橋日記 職員室の風景④
教員の長時間労働が問題にされるようになったのは、昨日今日のことではないのだが、一向に改善されない。学校現場のブラックぶりが広く知られるようになり、実際にそれが理由で教員を志望しない学生が増えていると聞かされると、何とかしなければとは思う。
ここ数年は、研修会で各学校の是正案を持ち寄って紹介し合う時間など設けられているのだが、これがまったく盛り上がらない。それぞれに工夫はしているのだが、いたって些末なことばかり。かき集めたってたいした時間短縮にはならないのである。仕事を増やし続けておいて、働き方はそっちで考えて変えてね、と言われてもねえ、としらけた気分が覆っている。働き方改革の改革ってこんな小細工に使う言葉じゃないだろうに。
長時間労働の原因の一つが電話だ。毎日おびただしい数の電話がかかってくる。ならば、企業や役場にならって午後五時以降は電話の応対なし、としてしまえばよいようなものなのだが、ことはそう簡単にいかない。保護者に連絡しないといけないことがあったとして、きょうびすぐには連絡が付かない。留守番電話に用向きを言っておいて、待つよりほかない。どうしても会って話しておきたいことになると、その後の来校まで待たねばならず、時間ばかりが経過する。
電話は、ほとんどかける側の都合が支配するので、多かれ少なかれ、かけられた側は、中断を余儀なくされるし、時間も奪われる。そんな煩悶がにじむ電話もあれば、意図的に侵入をねらったものもある。受話器を置いた後、残り香のようにぼくのまわりに漂う声のかけら。すぐには消えない。そしてまた呼び出し音。
子どもの頃、母の実家の玄関先にはダイヤルのない電話機があった。ダイヤルが陣取っている部分は格子状になっていて、ときどきそこから話し声が聞こえてくる。母に尋ねると、「ゆうせん」と教えてくれた。電話ではあるのだが、そこでの会話は、ゆうせんのあるところすべてに聞こえる。
「だーんだーんだーんだーん。はっ、だーんだーんだーんだーん…」
延々と繰り返されるおばあさんの声にあっけにとられて笑っていたら、
「○○のおばばだ。」
と母も笑っていた。何かのお礼を言っていたらしい。
学校の電話をゆうせんに替える。これは、画期的な改革になりはしないか。電話は激減するだろうし、SNSの拡散も恐るるに足らず、拡散が前提だ。聞かれて困る話には手間暇かける。提案してみようかしら。