がらがら橋日記 職員室の風景
一日中職員室にいるのが自分の仕事なのだ、というのがわかってきた。動かねばならないときだってもちろんあるが、用事が済めばさっさと定位置に戻る。実は、コロナの影響でごっそりなくなってしまった仕事もあって、手持ち無沙汰の時もある。担任教師は、子どもたちの登校から下校まで、息つく暇もないほど忙しいから、そんなときは申し訳ない気もする。もしかして、あいつは気楽なもんだよなあと思われてやしないかとも思うが、ここで無駄に動いてはいけないのである。
じっとしているとやがて電話がかかってくる。担任に連れられて子どもがやってくる。訪問者が来る。そのうちの何割かは、ややこしい話だ。「そちらの児童だと思いますけどね、指導してもらわないと困るんだけど…」「言うこと聞けないんだったらしばらくここにいなさい…」「アポなしですみません…」。ぼくが職員室にいなかったら、だれかがこれに対処しなくてはならなくなる。それは、そのだれかの仕事の手を止めることになってしまうのだ。
担任に引きずられて今日も男の子が入ってきた。入るまでに廊下ですったもんだやっている。担任の怒声と子どもの抵抗する物音には耳を澄ませているので、子どもが入ってくるまでには、およその状況はつかんでいる。ぼくの机の隣には、ミーティングと応接兼用のテーブルと椅子が置かれてあり、頭に血の上った担任と子どもがしばらくそこで対峙する。ぼくは、その後を引き受けるのだ。教師の言うことを素直に聞くタイプは、そもそもこういう状況には至らない。担任はやむなく授業に戻り、ぼくはふて腐れた子どもを相手にすることになる。散々説教されてきた子どもだ。その上に小言を重ねても心にかぶせた蓋はきつくなるばかり。ぼくは、狸親父になる。
しばらくパソコンをカチャカチャやりながら横目で様子をうかがい、戦闘モードが和らいだ頃合いを見て、話しかける。
「絵本読むか?」
うなずけば、それであらかた片が付く。落ち着けばそれで終わり。担任は反省させないと気が済まないかもしれないが、狸にはそんなものはどうだっていい。心静まれば自動的に後悔するかもしれないし、しなかったとしてもそれまでだ。今は思い至らずとも、いつかは自分で絵解きをしないとも限らない。
ひとしきり絵本を読んで、また教室へ戻っていく子どもを見送る。背中は語る。「生きるのって大変だぞ。すれっからしの狸には、わかるまいがの」狸は、苦笑してつぶやく。「はいはい。またどうぞ」。