続人生の踊り場 60 誰そ彼

 九月で六十歳、取り敢えず勤め先を大過なく定年退職と相成りました。前後左右縦横斜め全部の方々へ感謝の気持ちで一杯です。
 地元の工業高校を卒業してから四十二年、よくも飽きずに毎日々々同じ会社に通ったものだと我ながら寒心する思いです。兎にも角にもルーティーンの連続でした。基本的に放置プレイの仕事なので直属の上司もいなければ部下もいない、万年平社員のままひっそりと定年を迎えます。が、残念ながら現実には退職日の翌日から再雇用という形で再びルーティーンが始まるのです。隠遁したいのは山々ですが懐事情がそれを許しません。尤も今のご時勢、仕事をする場があるだけでも幸せだと思わなければならないのでしょうが。
 ただ、自身の心奥では六十歳を人生の大きな節目として捉えているようで、このところ身の回りの整理や片付を自然と行うようになりました。私にはオタク&マニアックな蒐集癖があり、執着心のある瓦落多を後生大事に抱え込んでいたのですが、何故だかそれらを何の抵抗も無く平気で処分できるようになってしまったのです。
 それらのモノに対する今までの拘りは全体何だったのか、逆にモノが無くなっていくことが快感に繋がるというこの心境の変化を自分でも不思議に感じています。これが世に言う断捨離に通ずるものなのでしょうか。勿論売れるものは売ってなるべくゴミは出さないように務めています。今では次は何を処分してやろうかなと、ワクワクが止まらなくなってしまいました。
 さて、奇しくも今号で六十回目の投稿となりました。人生の踊り場はとっくに過ぎてしまった年齢ですし、切りも良いので今回をもってお開きにさせていただきます。皆さまありがとうございました。とはいえこれで退くつもりはなく、次回(いつになるやらわかりませんが)からは『人生の誰彼』というタイトルに変えて再雇用をお願いしたいと思います。
 一般的にたそがれは『黄昏』と書きますが、元はと言えば夕暮れ時は人の顔が判別し難いので「誰そ彼(あなたはだぁれ?)」が転じて使われるようになったと聞きます。けど昨今はのべつ幕なし皆マスク姿で誰だか彼だかわからなくなっているので、朝から晩まで誰そ彼になっちゃいましたね。