ニュース日記 752 コロナが終わらせた最長政権

30代フリーター やあ、ジイさん。安倍政権がついに終わる。

年金生活者 もし新型コロナの流行がなかったら、安倍晋三は自ら公表したような程度の病状では辞任しなかったのではないか。新型コロナという災厄の責任を取ることを国民に迫られ、辞任に追い込まれたと考えるのが妥当と思える。持病の悪化はその口実に使われた。内閣支持率の低迷は過去の一時的な落ち込みと違って、退陣を求める国民のメッセージとなった。それは昔の「王殺し」の再現と見ることができる。

30代 かつての政界のプリンスが悲劇の王となったってわけか。

年金 吉本隆明は「西欧的な〈王〉の概念では、〈王〉は人民により担ぎ上げられる存在であるとともに、ひき降される存在でもある」とし、「凶事が続発すれば、それは〈王〉に神をなだめるだけの〈威力〉がないためであり、〈王〉の存在が不吉であるためであるとされて、殺害されてしまう」と書いている(「天皇および天皇制について」)。
 安倍晋三もまたコロナという「凶事」のゆえに、その直接の責任がないにもかかわらず、「存在が不吉」と国民にみなされ、「宗教的な供犠」(同)として退場を求められたと解釈することができる。同様の「王殺し」は、リーマン・ショックの「凶事」に見舞われた麻生政権に対しても、3・11震災の「凶事」に遭遇した民主党政権に対しても実行された。

30代 安倍政権がこれだけ長期化したのは謎だな。

年金 理由のひとつは、自民党が戦後長きにわたって政権を維持できた理由と同じと言っていい。憲法改正を党是にしながら実行はせず、経済を優先してきたのが自民党だ。安倍晋三もまた改憲を政権の看板にしながら実行に移すことなく、アベノミクスの名のもとに経済優先を踏襲した。本人は不本意だったとしても、結果は歴代の自民党政権と変わりなかった。今後どんな政権ができても、それは変わらない。万が一にも合流新党が政権を握ることがあったとしても同じだ。合流新党の中には改憲論者も少なくないと推定されるが、それは口だけに終わるだろう。国家権力を縛るのが憲法だとしたら、現憲法を憲法たらしめているのは、国家に対する究極の縛りといっていい9条の存在であり、非戦・非武装のその理念は戦後の日本国民のアイデンティティーとなっているからだ。
 それでも改憲論が絶えることがないのは、それが一種の反復強迫だからだ。アメリカに新憲法を押しつけられたとき、日本の政府と国民はその想定外の中身に不意打ちを食らった。心の準備がないまま受け入れざるを得なかった。事前にできなかった心の準備を事後にしようとする心の動作が反復強迫であり、それが改憲論の形をとって繰り返しあらわれる。それは憲法を我がものとするのに必須の症状ともなっている。

30代 首相の辞任表明後に行われた共同通信の世論調査(8月29、30日)によると、内閣支持率が56・9%と、その1週間前の調査より20・9ポイントも上昇している。

年金 最大の理由は退陣を求める世論に従ったことへの評価だろう。だが、それだけでこの大幅な上昇率は説明しにくい。辞任表明が国民にこの政権の7年8カ月を振り返らせ、その政策が国民生活にもたらした利益を思い起こさせたと思われる。
 藤原かずえというブロガーが「安倍首相が創った小さな幸せ」というタイトルで政権をたたえる一文を書いている。「小さな幸せ」という言葉で言いあらわしているのは、失業率の低下とそれと相関関係にある自殺者数の減少だ。「安倍政権は日本の失業率を1980年代のレベルまで奇跡的に低下させ、民主党政権時代に約3万人/年いた自殺者を、2019年までに約2万人/年まで低下させました」と彼女は書く。
 失業は生活の基盤だけでなく、個人が社会的な承認を受ける場を奪う。言い換えれば、雇用は生活の基盤を提供するとともに、だれもが持つ承認欲求を満たす場を用意する。前者がフィジカルな利益だとすれば、後者はメンタルな利益であり、両者はともに人間が生きていくうえで必要な条件と言える。

30代 雇用の拡大は安倍政権に限らず、どんな政権でも目標にしてきた。

年金 ただ、そのための財政出動をしやすくするために、過去に例のないマイナス金利政策を日銀に採らせた点が、これまでのどの政権も異なっている。
 アベノミクスを特徴づけるこのやり方はいま注目されだしているMMT(現代貨幣理論)の部分的な応用ととらえることができる。自国通貨を発行する政府は債務不履行に陥ることが原理上あり得ないから、インフレの恐れが出てくるまでは、いくらでも借金してバラマキをすればいい。そう主張するこの理論を安倍政権はその意図なく財政政策に当てはめた。
 MMTは貨幣を富とは考えず、富を動かす記号として扱う。記号なので、記帳するだけでそれは移動し、富の移動を媒介する。マルクスが解明に取り組んだ貨幣の物神性からあたう限り解放された考え方ということができる。それはマイナス金利と並んで、これまでの資本主義の常識を覆すものとなっている。