ニュース日記 750 香港の民主派

30代フリーター やあ、ジイさん。香港国家安全維持法に違反したとして逮捕された民主活動家の周庭は保釈されたあと、「今まで4回逮捕されたが、正直、今回は一番怖かった」と語ったと報じられている(8月12日朝日新聞デジタル)。

年金生活者 国安法には香港の既存の法律にはない恐ろしさがあることを彼女の発言はあらためて示した。
 周が「一番怖かった」と感じた理由は「どういう形で国安法に違反したのか。過去の24時間、全然聞いていない」(同)ことにある。彼女が過去に逮捕された容疑はいずれも「一国二制度」下の香港の法律にもとづいているはずだ。その法は宗主国だったイギリスの近代的な法の原理を下敷きにしているから、どの行為が違反の容疑となっているか、警察からそのつど本人に明示されたと推測される。
 これに対して、国安法は条文が幅広い解釈の余地を残す曖昧さを持っているうえ、その適用にあたっても、今回の逮捕に見られるとおり、いつのどの行為が違反にあたるのか警察は告げない。どんな掟かわからないまま従うことを強制されることの恐怖を周庭は強調したかったに違いない。

30代 「心の準備ができていないまま逮捕されました」とも彼女は語っている(同朝日新聞デジタル)。

年金 この不意打ちの恐怖体験は、フロイトのいう反復強迫、今でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす可能性があるほど大きなものだったに違いない。事前にできなかった心の準備を事後にしようとして、そのときの経験を夢や回想の中で繰り返し想起するのがこの症状だ。
 その原型は生誕時にある。母胎の楽園からいきなり荒れ野に放り出された新生児は、従い方のわからない掟に従うことを強いられる。楽園の中で浸っていた万能感を剥ぎ取られ、おのれの無力を思い知らされる中でのこの経験は恐怖に満ちている。

30代 朝日新聞は周庭のことを「趣味は日本のアニメで、アイドルグループ『嵐』のファン」と紹介していた(8月14日朝刊)。

年金 実際には「ファン」の域を超えて自身が「アイドル」と化しており、それを中国政府は最も恐れたと思われる。中国批判が国内外で大衆的な広がりを獲得する可能性があるからだ。
 その点で対照的なのが、同じ国安法違反容疑で逮捕された香港紙「リンゴ日報」創業者の黎智英だ。彼はあまり表に出ない。発行紙は中国寄りのメディアが多数を占める中で共産党政権を真正面から批判している。そのぶん「お堅い」イメージがあり、おそらく読者はインテリないしそれに近い層が中心で、周の支持者のような大衆的な幅広さはないと想像される。
 それでも北京政府が彼を狙い撃ちにしたのは、こういうインテリを中心とした「お堅い」中国批判なしには、それが大衆的な広がりを持つこともないことを承知しているからだ。アイドルもインテリも監獄に閉じこめてその発信を封じる以外にないと習近平政権は考えているのかもしれない。それには逆効果も予想される。とりわけ周庭の場合は、横暴な政権にひどい目に遭わされるアイドルのイメージが広がり、大衆的な反発が強まる可能性がある。

30代 黎はアダムとイブの食べた禁断の知恵の実の神話をもとに「リンゴ日報」という紙名にしたそうだ(8月13日朝日新聞朝刊)。

年金 独裁に抵抗するには知恵こそ欠かせない武器であることをそれは象徴している。
 イブはエデンの園に生っているその実を食べるよう蛇にそそのかされる。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」(共同訳『聖書』)と。彼女はその実を取って食べ、それを渡されたアダムも食べる。「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」(同)。怒った神は、イブに子を生む苦しみを、アダムに働く苦しみを与え、エデンの外に追い出す。
 この神話は母胎の楽園を追われてこの世界の荒れ野に放り出される生誕の過程を象徴している。知恵の実を食べる行為は胎児の成長の象徴だ。いずれ胎児は母胎より大きくなり、それを壊すだろう。その前に外に出さなければならない。母はわが子を楽園から追放する。知恵を得たアダムとイブが、エデンには知恵の実のほかに命の実があることを知り、それを食べて神のように永遠に生きる者とならないよう、神がふたりをエデンから遠ざけたように。
 母胎の楽園から荒れ野にさまよい出た新生児は、従い方のわからない掟に従うことを強いられる。わが身を守るには、わからない掟をなんとかしてわからなければならない。それには知恵が必要だ。その知恵は胎内で身に着けた。楽園からの追放と引き替えに。乳児はその知恵を働かせ、庇護者である母とかけ引きをすることを覚える。
 国安法は従い方のわからない掟の一種だ。そんな恐怖の法の正体を知り、わかる法に置き換えることを香港の民主派は運動の課題としている。そのための武器は、中国が禁断の木の実としてタブー化したがっている「知恵」であることを、黎智英や周庭らはよく承知しているはずだ。