ニュース日記 749 新型コロナウイルスは何を変えるか

30代フリーター やあ、ジイさん。9・11同時テロのときも、3・11原発事故のときも、そして今度の新型コロナウイルスが広がったときも、「世界はこれまでとは違うものになる」とよく言われた。

年金生活者 それを言ったのはたいていインテリだ。現状がくつがえることを望む習性があるからな。観念を相手にすることをなりわいとしているインテリは現実を否定しないではいられない。観念は現実の否定の上に成り立っているからだ。より良き未来を求める左派・進歩派のインテリも、古き良き時代への復古を願う右派・保守派のインテリも、現状を否定したがっている点では共通している。

30代 コロナ後の世界は、それ以前からの変化があらわになるだけだとも言われた。

年金 9・11も3・11も当初の予想ほど世界を変えなかったという反省からかもしれない。
 9・11や3・11は各国の治安対策やエネルギー政策に変化をもたらしたが、世界の一般の人びとの日常を一変させたわけではない。これに対して、コロナは国家に保健衛生行政の変更を迫っただけでなく、一般の人びとに生活の変容を強いた。マスクの着用、手洗いの励行、「3密」の回避といった「新しい日常」に匹敵するような生活の変化は、9・11のときも3・11のときもなかった経験だ。
 その点では、コロナ後の世界は、インテリよりも一般の人びとにとって変化の落差が大きいと受け止められているはずだ。インテリが天下国家に目を向けがちなのに対して、一般の人々は常に自らの生活を第一に考えるからだ。

30代 「新しい日常」は定着するのか。

年金 政府が「3密」を避けるよう呼びかけるようになって、多くの国民は自分たちが今までどれだけ「密」な生活を送っていたかを実感させられたはずだ。その「密」が限界に近づき、「疎」へと転換していく世界史の流れをコロナは映し出しているのかもしれない。

30代 それこそインテリの願望じゃないのか。

年金 現在のような「密」な社会は人口の密集する都市が出現して初めて成立した。農村しかなかったそれ以前の時代、さらに農村もなかった狩猟採集の時代は「疎」であることが常態だった。
 都市が出現したのは、人口の密集が生産、流通、消費に便利だからだ。狩猟採集の時代には生産も流通も消費もほとんどなかった。少人数の仲間ごとに自然の恵みを取って山分けしていた。
 農耕が始まり、それによって得られる物は単なる自然の恵みではなく、生産物になった。それらは狩りの獲物や木の実などと違って、長期の貯蔵ができる。それによって流通が可能になり、消費が生産から分離した。
 生産力の向上が、農業だけでなく、それ以外の産業でも進むと、生産・流通・消費のシステムは、大量の人口を必要とするようになり、都市を誕生させた。

30代 その都市が招き寄せた災厄のひとつが疫病の流行だ。平安京という当時の大都市で、その退散を祈るために始まったのが京都・祇園祭だといわれている。

年金 疫病の流行は現代においてもなお災厄であり続けている。それをもたらす「密」が、世界中の人びとによって、これだけ強く忌避されたのは、コロナ以前にはなかったことではないか。今度ばかりはそれが一時的なことにとどまらず、ある程度まで定着する可能性がある。
 なぜなら、コロナ流行のかなり前からすでに「密」の窮屈さを回避しようとする現象が社会の諸場面で見られるようになっていたからだ。その典型的な例が映画館の変化だ。全席指定となり、昔よくあった立ち見姿は消え、座席と座席の間は隣の客と肘が触れ合う心配がないほど拡張された。
 観客がそれだけの処遇を要求するようになったということができる。この要求は個人がそれに相応する権力を手にした結果にほかならない。その権力は消費の過剰化に駆動されて国家から個人に分散したものだ。

30代 「密」は都市の持つ力の源泉だ。それが敬遠されるようになったら都市は衰退する。

年金 今より風通しはよくなるだろう。「密」の担い手はサイバー空間に引き継がれる。コロナで広がり出したリモートワークはその先駆けといっていい。

30代 コロナでも変わらない米欧追随の日本的な体質も指摘された。

年金 新型コロナによる人口当たりの死者数は欧米にくらべるとはるかに少ないのに、ニューヨークやパリでの感染の急拡大、死者数の急増が伝えられ、識者と呼ばれる専門家、非専門家たちが「今に日本もそうなる」と言い出すと、少数派だったマスク着用者がたちまち多数派になった。
 日本の医療界も政府も国民の大多数も、世界標準は欧米にあるとなかば無意識のうちに思い込み、被害は少ないのに対策は準欧米並みでコロナに臨んだ。
 緊急事態宣言の解除後に開かれた大阪府の専門家会議では「推移を見る限り、(宣言の前後で)感染の収束スピードは一定で、日本では自然に減ったとみるのが妥当だ」とする計算結果(中野貴志・大阪大教授=原子核物理学)が報告されたが、それは「日本標準」になることはなく、欧米主導の世界標準が維持されたまま今に至っている。