ニュース日記 748 死ぬことを許さない権力

30代フリーター やあ、ジイさん。新型コロナウイルス対策の専門家会議が廃止され、特措法によって閣僚会議の下に新設された分科会に仕事が引き継がれた。「科学を政治化するのか」(神戸大学医学研究科感染症内科教授・岩田健太郎)といった批判がある。

年金生活者 経済活動を再開するには、感染防止一辺倒から転換しければならないから、そのために専門家をコントロールする必要があると政府は考えたのだろう。それだけ専門家会議の発言力は大きかった。
「あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていたのではないか」。専門家会議自身がそう記者会見で振り返ったように、一定の期間、とりわけ感染の拡大局面では、この会議が事実上おもな政策を決定していたと言っていい。医療界の持つ権力は政府を左右し、国民の行動を拘束するほど強いものであることをコロナ危機はあらわにした。
 資本主義の高度化は国家から個人、企業への権力の分散を促した。ここでいう企業には医療界が含まれる。その中核をなすのが製薬・医療機器会社だ。国家から分散した権力を手にした医療界はコロナ対策で政府を動かし、国民の日常を変えた。
 ただ、そのせいで多くの患者が受診を自粛し、医療機関の経営が危うくなっている。医療界は個人に対して必ずしも優位に立っているとは言えない。それは企業が消費者に対して優位に立っているとは言えない現状と同質のものだ。国家から個人、企業に権力が分散したが、消費者としての個人と企業を比べると、個人のほうが分散した権力をより多く手にしていると言うことができる。

30代 先週、ジイさんは、医療界と行政は、フーコーのいう生権力として、個人の行動を制限し、感染者の数をコントロールしようとした、と言ってたな。

年金 人を何がなんでも生かしたがるのが生権力だ。患者が苦しがっても生きさせる延命治療が行なわれるのは、そこに生権力が働いているからだ。
 萬田緑平という在宅緩和ケア医が次のようにツイートしている。「ピンピンコロリは超難関。まず、それを許す医師はいない。救うのが仕事だから。それを許す家族もいない。死んで欲しくないから」。生権力は私たちの日常において作動している。
 先週も言ったように、近代以前の権力は逆らう者を殺す権力だった。近代以降は人を生かして従わせる生権力に替わった。それは個人個人を軍隊や学校や工場で訓練して規律に従わせる一方、住民全体を人口動態や健康状態の統計・調査を通じてコントロールする。
 生権力が誕生したのは、大量生産、大量消費に支えられる資本主義が大量の人口を必要としているからだ。個人は労働力として、消費力として生かしておかなければならない。
 資本主義の高度化で富の稀少性の縮減が加速されると、生権力はそのぶんより多くの個人を生きさせることができるようになる。稀少性の縮減の中には医療技術の発達も含まれる。
 新型コロナウイルスはこの生権力の姿を照らし出した。コロナ感染でひとりも死なせてはいけない。重症者は人工呼吸器やエクモで延命させなければならない。そのための設備と人員には限りがあるから、重症者を増やさないようにしないといけない。それには感染者の増加を抑えなければならない。これが緊急事態宣言という生権力の発動を正当化した理屈にほかならない。

30代 生権力はなぜ人に死なれることを恐れるんだ。

年金 人の死が自らの存在を危うくすると考えているからだ。
 人間は言葉を持ったときから、死を生の否定としてとらえるようになった。否定は言葉に固有の機能であり、言葉以前に否定は存在しなかった。
 死を生と連続したものとするとらえ方も、新たな生の始まりと考えるとらえ方も、必ず死の前の生の否定を含んでいる。
 生の否定は個別性の否定だ。生とはそのつど特定の時間と特定の空間を占めることであり、個別的なことの連続にほかならない。その否定、すなわち死は普遍性への移行を意味する。
 普遍性は権力を権力たらしめているものでもある。権力は普遍的であるがゆえに、個別的な存在である人間を包括し、それによって個人の上位に立ち、個人を制御する。
 その個人が死んで、生の個別性を離脱し、普遍性を獲得すると、権力の普遍性と競合する可能性が出てくる。生権力が人を生きさせようとするのは、資本主義がそれを求めているという理由からだけではない。人を死なせることがおのれの存在を脅かす恐れがあるからだ。

30代 それほど死を嫌う生権力がなぜ戦争を重ねてきたんだ。

年金 生権力は近代以前の権力よりもはるかに多くの人命を戦争で失わせた。それももとをただせば自国民を生きさせるためだった。パイが他国民と分かち合えるほど大きくない以上、自国民を生かすには力づくで奪う必要がある。
 だが、パイが大きくなれば、その必要はなくなる。資本主義の高度化が加速する富の稀少性の縮減がパイを膨らませ、世界の戦争の本流を熱い戦争、リアルな戦争から冷たい戦争、バーチャルな戦争に替えた。生権力はその名により近いものになった。