がらがら橋日記 枇杷

 高僧も爺で座しぬ枇杷を食す

 小学生の時使っていた箸箱に、この句と枇杷の絵がかかれていたのを覚えている。おそらく選ぶまでもない、親が店先の適当な箸を求めたのだろう、小さな子どもが喜ぶかどうかなど毛ほども思わずに。食卓に無造作に置かれたそれを見て、「ふん、箸箱新しくしたんだ」と思いはしたものの、どこをどう見ても子ども向けではないことにちょっとがっかりした。ただ、いつまでも気になる箸箱だったので、おかげで今に至るまで忘れずにいる。
 食事のたびに句と絵をなぞるように見たのにはわけがある。「爺で」とあるのがどうしてもわからない。高僧、爺、座す、いずれも意味は分かるのだが、「で」で結ばれてみるとさっぱりわからない。崩し字の書体も何だか子どもには突っぱねられているように感じられたし、どういう意味かと聞くことも思いつかず、そのまま何年も使い続けた。
 こんなことを半世紀ぶりに思い出さしてくれたのは、夢窓国師の『夢中問答集』である。足利尊氏の弟直義(ただよし)が問い、国師夢窓疎石が答える形で、仏道の要諦を示したものだ。南北朝争乱のさなか、権力のトップに立ち、兄とともに時代を開いた悲劇の武将と政治と文化に多大な影響を与えた高僧の問答集というだけでも胸躍るものがある。仏教の素養のない者にとっては、注を頼りに少しずつ読み進めていくほかないのだが、当時の世相を彷彿させるやりとりもあって読み物としてとてもおもしろい。
 一人の老いた尼君がいた。清水寺に参詣し、一心に願い事をしている。傍らにいた者が何を祈っているのかと問うと、
「私は若い頃から枇杷の実が好きですが、あまりに核(さね)が多いものですから、毎年五月にはここにお参りして核をなくしてくださいと祈っております。ですがまだ効験がありません。」
 夢窓国師は、当然笑い話としてこれを挙げている。よっぽどこのエピソードを気に入っているらしく、別の章でも、前にも言ったけどあの話、という感じで語っている。最初に話したときに直義が声を上げて笑ったか、ニンマリしたのだろう。二人にとってツボだったんだろうなあと思うと、老尼君のかわいさとあいまって読んでいるこちらまで楽しくなる。
 高僧も爺で笑っている。あっ、箸箱のあの句、というわけである。
 なお、源頼朝像として伝わる有名な神護寺の肖像画、実は足利直義を描いたという有力な説がある。あの冷徹な目が思いっきり笑ったところを想像した。