ニュース日記 746 中国はなぜ民主化に向かわないのか

30代フリーター やあ、ジイさん。中国の強行した香港国家安全維持法(国安法)の施行で早くも表現の自由への抑圧が始まった。

年金生活者 北京政府にとって国安法の制定は、アメリカとの覇権争いのための新たな防御の武器を手にしたことを意味する。デモを封じて民主化要求を不可視化できれば、諸外国からの中国非難の機会を奪う効果がある。
 米中の対立は、国際紛争を解決する最大の手段が依然として戦争であることをあらためて示している。ただし、その戦争は第2次世界大戦までのような熱い戦争、リアルな戦争ではなく、東西冷戦を嚆矢とする冷たい戦争、バーチャルな戦争にほかならない。
 バーチャルといっても、直接の破壊と流血をともなわないというだけであって、経済制裁によって実害を生じさせる点ではリアルと言える。そこが前世紀の東西冷戦とは違うところだ。経済のグローバル化が進んでいなかった当時は、実行可能な経済制裁は限られていた。核による抑止力の競い合いが戦いの中心だった。もし一方が核を使えば、たちまち相手から核による反撃を受ける相互確証破壊が成立し、核の使用は封じられた。代わりに、通常兵器による局地的な代理戦争が噴出した。20世紀は核による軍備のグローバル化が進んだ時代でもあった。
これに対して、経済がグローバル化した現在の米中対立は抑止力以上に経済力を競い合う戦いとなっている。

30代 どっちが勝つんだ。

年金 この戦いに勝敗があるとすれば、それは今後の資本主義の変容にどちらが適応できるかによって決まるだろう。
 資本主義を変容させるのは富の稀少性の縮減だ。人間は稀少性から自由になったとき、次にどんな自由を求めるか。それは不必要なものを求める自由ではないか、と私は想像している。
 だとしたら、それに適合する政治社会体制に移行しやすいのはアメリカのように見える。だが、この超大国は自らの政治社会体制を歴史の最高、最終段階のものと考えているふしがある。それを考えると、アメリカに有利とばかりはいえなくなる。

30代 自由な香港の死はいたましい。

年金 中国共産党の考える一国二制度とは、中国本土が社会主義で、香港は資本主義という二制度ではなく、本土で採用している「社会主義市場経済」、すなわち政治は共産党独裁、経済は資本主義という二制度であることが、国安法の制定によってはっきりした。
 社会主義市場経済は、政治的な自由を制限する代わりに経済的な自由を保障し、国民の生活水準を向上させた。その二重構造が政府に対する国民の反感を和らげた。政治も経済も不自由な「一国一制度」だったために崩壊した旧ソ連のような事態を免れさせた。中国共産党が世界中から非難されても香港の本土化=社会主義市場経済化を推し進めるのは、この成功体験があるからだ。

30代 中国が民主化しない限り、香港はどうにもならないということか。

年金 ロバート・カプランというアメリカのジャーナリストがこう語っている。「もしリベラルデモクラシーを中国にそのままあてはめれば、中国では異民族同士が血を流す事態が起き得るでしょうし、国内は新たに分断され、無秩序に陥ることになるでしょう」(2019年5月27日朝日新聞デジタル)。
 「異民族同士が血を流す事態が起き得る」ということは、民主制に不可欠の国民の均質性が成立していないか、不十分であることを意味する。ここでいう国民の均質性とは、民族や居住地が異なっていても、全員がひとつの国民であるという共通認識を指す。それなしには民主主義の柱のひとつである平等は成り立たないし、もうひとつの柱である自由も、それがみなに等しく保障されることなしには自由たり得ない。
 中国が、ひとつの国民としての共通認識を欠いている、あるいはそれが不十分な国家だとしたら、それは近代的な国家ではなく、古代以来の「帝国」であることを意味する。帝国とは複数の民族や地域を支配する国家、すなわち不均質な民衆を支配する国家を指している。香港に一国二制度という、近代国家では考えられないような不均質な仕組みを導入できたのも、帝国だからこそだ。
 同じ意味で旧ソ連も帝国だった。その崩壊は帝国の崩壊を意味した。すなわち共産党に支配されていた複数の民族や地域が複数の国家として独立した。後継国家のロシアが少なくともソ連時代より民主的になったのは、帝国の崩壊によって均質な国民が成立したからだ。
 そのさい「異民族同士が血を流す事態」が起きることなく崩壊が進んだのは、ソ連が連邦制をとっていたのが一因と考えられる。複数の民族や地域が一定の独立性を持つ連邦制という仕組みがあったから、その仕組みの解除という手続きを経ることによって、帝国を解体することができた。

30代 連邦制ではない中国にはそれができない。

年金 アメリカが軍事力で民主制を押しつけたイラクが宗派や民族による内戦に陥ったことを考えれば、中国も民主制の代償として「異民族同士が血を流す事態」を免れない。ロバート・カプランはそう考えたのかもしれない。