ニュース日記 744 米中の内憂外患

30代フリーター やあ、ジイさん。中国全人代常務委員会が香港の反体制的な言動を取り締まる「香港国家安全維持法案」の概要を公表したと報じられている(6月21日朝日新聞朝刊)。

年金生活者 香港市民に対するなりふりかまわぬ抑圧の強化を見せつけられると、日本がずいぶんいい国のように思えてきて、「日本スゴイ」論が恥ずかしげもなく語られる一因を見つけた気になってくる。

30代 中国本土の国民は習近平政権をどう思っているんだろう。

年金 二重の感情を抱いていると推察される。ひとつは一党独裁をゆるめるどころか強化してきていることへの不満であり、もうひとつは現状を変えることへの不安だ。経済的な自由とそれに支えられた経済的な発展を保障しているのが共産党独裁政権なら、その転覆は現在の自由と発展の喪失を招くリスクをともなうからだ。
 これは日本国民が安倍政権に抱いている感情といくぶんか似ているかもしれない。強権的なところ、公私混同が過ぎるところがあっても、一定の自由と経済的な安定を保障しているのは現政権だと考えていると推察されるからだ。
 たいていの人間はよほど困窮しない限り、あるいはその恐れがない限り、現状が変わらないことよりも、変わることのほうを恐れる。香港市民が身の危険を顧みずに反政府デモを繰り広げてきたのは、長く享受してきた「一国二制度」という香港の現状が変えられようとしているからだ。

30代 中国はアメリカとも対立し、内憂外患の中にある。

年金 米中はともに国内に根深い矛盾を抱えている。アメリカのそれは人種差別に反対する運動となって、中国のそれは香港への抑圧に抵抗する運動となって噴出している。新型コロナウイルスの感染拡大の責任を両国がなすりつけ合っている姿に、それぞれの矛盾を覆い隠そうする意図を見ることができる。
 両国の矛盾はどちらも政治と経済との間にある構造的な矛盾だ。アメリカは政治的な自由に比べて経済的な自由が制約されている。中国は逆に経済的な自由に比べて政治的な自由が制約されている。経済的な自由はアメリカが中国を上回っているかもしれないが、ここでいう「制約」はそれぞれの国内の政治と比べてのことだ。
 アメリカの経済的な自由の制約は格差の固定化としてあらわれている。格差は競争の自由の追求が招いたものであり、その固定化の要因のひとつが根深い人種差別だ。アメリカの自由な社会はそうした差別のもとになった奴隷制に支えられて発展した。古代ギリシャの民主制が奴隷制の上に成立したように。

30代 白人警官が黒人男性を死なせたことに抗議するデモが全米に広がるなか、一部で起きた略奪などの行為に対して、トランプが米軍の派遣も辞さないと表明したことがある(6月2日朝日新聞夕刊)。

年金 社会の分断をあおることによって政権を奪取し、維持してきた彼は苦境に立たされてもなお、分断をあおる選択肢しかないと考えているように見える。
 社会の分断が進むと、政権担当者は国民の半分近くの不支持を覚悟しなければならない。それをよく知っていて全国民の大統領になることを初めから放棄したトランプは、逆に分断をあおって敵をつくり、味方の結束を固めることで政権を維持してきた。
 社会の分断は、それまで政治の領域にとどまっていたイデオロギーの対立が社会にまで広がったことを意味する。それを是正するどころか助長するトランプの政治は、平等を掲げる国民国家の理念に反する。それは格差や差別を是とする政治、平等の建前をも捨てる政治であり、貧困や被差別のただなかにある国民にとっては、希望の放棄を強いられるに等しい。
 新型コロナウイルスの流行でそのことがむき出しになったところに起きた、白人警官による黒人男性殺害事件は、社会の分断とそれを推進する政治を抑圧と感じ始めていた多くのアメリカ国民の不満に火をつけた。抗議デモに黒人だけでなく多数の白人が加わり、デモの一部が「暴徒」と報じられるほど過激化したのは、抑圧の強さと不満の深さを物語っている。

30代 中国の抑圧はそれ以上だろう。

年金 ヘーゲルの「東洋人はひとりが自由だと知るだけであり、ギリシャとローマの世界は特定の人びとが自由だと知り、わたしたちゲルマン人はすべての人間が人間それ自体として自由だと知っている」という言葉を前にも紹介した(『歴史哲学講義』長谷川宏訳)。習近平独裁の中国は「ひとりが自由だと知るだけ」の歴史段階の残滓を今なお引きずっている。

30代 両国の抱える矛盾がそれぞれの歴史に根差したものだとしたら、その解消は容易ではない。

年金 それぞれの政権担当者が自国の矛盾にふたをするため、互いに相手を攻撃し合う状態もおさまりそうにない。米中の対立を第2の冷戦の始まりととらえる見解がある一方で、1930年代の帝国主義的な覇権争いになぞらえる見方がある。希望があるとすれば、前者の見解が妥当な場合はもちろん、後者の見方が当たっているとしても、この対立が熱い戦争、リアルな戦争に転化することはないということだ。