がらがら橋日記 ドクターヘリ

 週末は、いつもより早い時間に起き出して、長い時間走る。そういうプログラムになっている。無理する必要は全くないし、誰に咎められることもないにもかかわらず、決められた時間割をどうしても律儀に守ろうとしてしまう。生涯の九割を学校で過ごしてしまったからだろう。こういう性癖が旧習に固執させてしまうかもしれない。警戒を怠らぬようにしよう。
 うっすらと夜が明けてきた。梅雨のさなか、雨は降っていないがどんよりと鉛色の空が広がる。湿度も高い。さらに向かい風。こういう日はどうしてもペースが上がらない。
 車もほとんど通らない、町はまだ寝静まっている。その静寂をバリバリと突き破ってプロペラ音が響いた。背中にあったその音は、やがて隣に来て、目をやると高度を下げたヘリコプターの全身がくっきりと見えた。散歩途中の老人も立ち止まって空を見上げている。
 ドクターヘリが赤十字病院のヘリポートに向かっているところというのはすぐにわかったが、見るのは初めてだ。音を聞くのは珍しくない。日に何度も聞くこともあるので、それほど意識もしない。でも間近にすると五感を刺激されるためか、想像が広がった。ヘリの中にいる搬送される人、パイロット、そして迎える医療従事者、送り出す人たち、まだだれもが寝ている時間に少なくない人たちが一刻を争う緊張の中でそれぞれの役割を果たしているのだ。
 なぜだか、じわっと胸が熱くなった。ニュースで見た医療従事者に拍手を送るシーンが浮かんできた。コロナ禍のもと文字通り命がけで働いている人たちがいる。未曾有の異常事態には違いないだろうが、ほとんどの人にとってそれも日常の延長だ。コロナがあろうとなかろうとドクターヘリは二四時間それを必要とする人を運んでいる。コロナと闘う医療従事者に拍手を送るのと同じ気持ちで、あのヘリの人たちに拍手を送りたいと思った。
 学校が一月以上休校になったとき、親が休めない児童の預かりをした。医療従事者の子もいた。朝の八時から夜の六時まで。毎日十時間、学校で自習をする。小さな子どもには過酷な日常だった。親も苦しかったに違いない。でも、預けることで医療を支えた。子どもも不平一つ言わないことで親を支えた。学校だって彼女らのくらしを支えた。だれもそれぞれに拍手を送らないし、拍手をもらえるなんて想像さえしないのだろうが、せめてヘリといっしょに走っている間、心の中で拍手を送ろうと思った。