がらがら橋日記 コロナと校長室

 三人という小人数だったことと、似たような立場という気楽さがあったためか、ある校長が打ち明け話を始めた。
「私がメンタルやられちゃいましてね。」
 必要な相談が終わったのを汐に雑談が始まり、コロナによる学校休業措置がとられてどうのこうのとポツリポツリ話していたら、急に自分の話を始めたのだ。
 その人とは顔見知り程度で、ほとんど話したこともない。そんなふうにいささか無防備に話し始めることに驚いたが、口調はからっとしているし、隠すよりは積極的に聞いてもらおうという意志さえ感じられた。心身の不調など、さっさと開示して客観視した方がよっぽど得だということか。
 休業は一月半にも及んだが、一部の児童は学校で預かりをせねばならなかったこともあって、勤務はいつもと変わらなかった。在宅勤務や年休取得、短時間勤務などで密を防げという通知はあったが、だれもがその通りにできるはずもなく、管理的な立場の者は、ずっと学校に詰めておくほかなかった。
「とはいえ、特にすることはなく、職員室に行って先生たちと話すと言っても邪魔になるだろうし、一人で校長室にいるわけです。そうすると心に隙ができるのかなあ。」
 普通の日常ならば、次々と処理していかなければならない仕事に加え、子どもや保護者由来の突発的なアクシデントに常に見舞われる。振り回されるのが常なのだが、まったくもって静寂な時間をただ送るとなるとその異常さに心が変調を来したらしいのである。様々な不安が心を満たしていったという。
 聞いていたもう一人の校長は、自分も全く同じだったと言い、心の内を話せることの感謝とともに、
「その心の隙に過去が襲いかかってきました。」
と語り始めた。かつて自分のとった判断や対応を心ならずも思い出して煩悶してしまったのだそうだ。
「今さらどうなるものでもないことは、分かっているのに止められないのです。」
 初めに打ち明けた校長は、別に一人電話で話したそうだが、ここでも強い共感を相手から得たという。
「おそらく、かなりの割合で同じような経験をしているでしょうね。」
 二人の意見は一致した。校長室という個室ではなく、大部屋住人のぼくには、「分かります。」などと軽々しく応じるのは憚られ、黙ってうなずく程度だったが、コロナに関してはかなり恵まれていた島根でさえ、けっこうな重量の苦労話ではある。ここからの回復に、これから人は何を求め始めるのだろう。