ニュース日記 742 コロナと権力

30代フリーター やあ、ジイさん。新型コロナウイルスへの対応のもたつきと、検察庁法改正をめぐるつまずきは、安倍政権の弱体化をあらわにした。

年金生活者 それだけでなく、権力の分散が進んだ国家の揺らぎも垣間見えた。
 資本主義の高度化とテクノロジーの発達は富の稀少性の縮減を加速し、国家から個人、企業、国家間システムへの権力の分散を促した。消費の過剰化が個人への、産業のソフト化が企業への、そして資本のグローバル化が国家間システムへの権力の分散を駆動した。
 コロナ対策では、政府の動きの鈍さとは対照的に、大阪府や東京都の知事の影響力が増した。地方自治体は国家と社会の中間に位置する存在だ。社会を構成する個人と企業に国家の権力が分散する過程で、その権力の一部が地方自治体に向かったと考えることができる。
 コロナ危機が生み出した「自粛警察」も個人への権力の分散を背景にしている。公式には何の権限もない彼らが人の行動に影響を与えている。それが戦時中の国防婦人会にたとえられるのは、コロナ対策が戦争にたとえられるのと同じだ。戦争は国家への権力の集中に見えるが、国民ひとりひとりが戦争という国権の発動の担い手になるという意味では権力の分散でもある。
 今国会での検察庁法改正を政権に断念させたツイッターデモの力も、国家から個人への権力の分散がもたらしたと考えることができる。それが検察を水戸黄門のような正義の味方と考える日本人の前近代的なメンタリティーと手を携えて政権を追い詰めた。

30代 東京高検検事長の賭けマージャンまで暴露された。

年金 それを報じた週刊文春のスクープは、これまでマスメディアの本流とされてきた新聞とテレビを、傍流の週刊誌が凌駕したことを示す出来事となった。背景にはやはり国家からの権力の分散があると考えないわけにはいかない。
 新聞とテレビは国家の間近に取材の拠点を置いている。それが役所の情報を独占するギルドとしての記者クラブだ。このことは両メディアが国家の権力の一部を分け持っていることを意味する。つまりマスメディアの本流は純然たる民間企業とは言えない。
 これでは、マスメディアの役割のひとつとされる権力の監視はできないように見えるが、そうとばかりは言えない。実際に役所の不正を暴くことはいくらでもあるからだ。マスメディアが第4の権力と呼ばれることがあるように、権力の分立による抑制と均衡がそこに働いているとみなすことができる。
 産業のソフト化に駆動された国家から企業への権力の分散は、国家の権力を分け持ってきた新聞とテレビにも当然ながら及んでいる。記者クラブの外にある、言い換えれば国家の権力を分け持っていない週刊文春は純然たる民間企業であり、権力の分散先のひとつに数えられる。「文春砲」が威力を増している要因の一部がそこにある。

30代 マスメディアの本流にいたジイさんの今の気分はどうだい。

年金 私は検事長と賭けマージャンをして癒着するような、言い換えればエライ人に食い込むような優秀な新聞記者ではなかった。それでも、ときには仕事がうまく行ったと感じることがあり、振り返っていい気分になることもあった。
 だが、今はそれを思い出すと恥ずかしく感じることが多くなった。マスメディアの本流から権力が分散した結果、その権力に助けられていい気になっていたおのれに気づかされるからかもしれない。

30代 「医療は、これまで誰も持ち得なかった『国民の人権さえも制限できる巨大な力』を持ってしまった」(森田洋之「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」、4月14日南日本ヘルスリサーチラボ)。医師自身にそう言わしめるほど新型コロナウイルスは医療の持つ権力の大きさを明るみに出した。ジイさん、前にそんなこと言ってたな。

年金 医療の権力が大きくなったのは、産業のソフト化に駆動されて国家から企業へ権力が分散した結果だ。巨大化した製薬・医療機器会社は世界の医療の方向と各国の医療行政を左右する力を持つに至っている。
 その権力から「医療崩壊するかもしれない」と脅されて自粛に励んだ諸個人は、医療に対して弱い立場に立っているように見える。だが、「医療崩壊」を最も恐れたのは、おのれの崩壊に脅えた医療自身であり、その危機を現出させたのは、感染の不安に駆られて検査や診察を求めていちどきに医療機関に向かった諸個人だ。
 その諸個人は同じ不安から、それまでかかっていた医療機関での受診を控えるようになったとも報じらている。医療コンサルティング会社メディヴァが全国約100の医療機関に尋ねたところ、外来で2割強、入院で1~2割の患者の減少が判明したそうだ(5月31日朝日新聞朝刊)。
 このことから言えるのは、個人は医療に対して劣位に立つばかりでなく、優位に立つことも多いということだ。消費の半分が選択的消費で占められているように、医療機関を受診するかどうかは個人の選択にかかっている部分が大きいからだ。それもコロナがあらわにしたことのひとつと言っていい。