ニュース日記 739 前近代の威力

30代フリーター やあ、ジイさん。安倍政権が検察庁法改正の今国会での成立を断念した。野党の抵抗にはいつも強行採決で応じてきたのに。

年金生活者 世論の反発の広がりが、検察を水戸黄門のような正義の味方と考える日本人の伝統的なメンタリティーに根差していることを政権は察知したに違いない。そうした前近代的な心性は、近代的な左派・進歩派に主導された安保法制への反対運動などより手ごわいと政権は感じたはずだ。
 悪代官の安倍政権が、水戸黄門の検察に懲らしめられるのを恐れて、ご老公の印籠を奪おうとしており、それを民百姓がとがめた。法改正をめぐる政権と世論と検察のせめぎ合いは、そんな物語にたとえることができる。世論を支えているのは、正義は国民の代表である政治家にはなく、国家から派遣された官僚にあると考える心性と言っていい。それは民主主義の理念とは相容れない。官僚が正義から逸脱するかもしれないことを想定し、それを監視する国民の代表を国家に送り込むシステムが民主制だからだ。

30代 政権を追い込んだ世論に不満なのか。

年金 このてんまつは検察を勢いづかせるだろう。検察OBらの反対表明は検察の意思そのものであり、それがとりあえず通ったことは、検察にとって政権に対する勝利といえる。それは最悪の場合、いままで何度か見られた検察の「暴走」の可能性を広げる恐れをはらんでいる。小沢一郎を追い落とすために、存在しない事件をつくりあげた陸山会事件、改竄した証拠で村木厚子を起訴した冤罪事件はそうした「暴走」の一例だ。
 カルロス・ゴーンを長期拘留した日産の事件では海外から「人質司法」を難じる声が上がった。先進国なら普通にやっている取り調べでの弁護士の立ち会いを認めない日本の司法制度は批判にさらされた。その制度を改める権限を託されているのは、国民の代表である国会議員、すなわち政治家だけだ。検察への「政治介入」と批判された法改正が先送りされたことが、政治家は検察に一切口出しするなという方向に世論を導くようなことがあれば、「人質司法」を維持したい検察には好都合なことだろう。

30代 「#検察庁法改正案に抗議します」の「ツイッターデモ」は安倍政権のたび重なる行政の私物化にストップをかけた。

年金 ただ、それが水戸黄門を手放しでたたえる前近代性を含んでおり、検察に対するノーチェックにつながる危険をはらんでいることは警戒しておく必要がある。

30代 近代的な憲法ができて三四半世紀たつのに、いまだに前近代性が気になるのか。

年金 三上治が日本国憲法を着慣れないよそ行きの着物にたとえていた(テント日誌5月8日版)。自由が憲法の精神なのに、日本人はいまなお「自発的隷従」を民族的心性としているというのがその理由だ。
 「自発的隷従」とは、強制によってではなく、自ら進んで国家に服従することだとすれば、それは家族の間での振る舞い方に似ている。夫が妻に、妻が夫に、あるいは子が親に、親が子に従うのは、自発的な動機が大きい。
 吉本隆明の言葉を借りれば、「自発的隷従」には共同幻想と対幻想の混交がある。一般的な言い方するなら、公私の区別のあいまいさがある。国家は共同幻想のひとつとして公的な領域に属する。国家と国民の関係は支配と被支配の縦の関係となる。これに対して、対幻想は私的な領域に属し、相互的な横の関係を形成する。
 そうした次元を異にするふたつの関係の混交が私たちの国家に存在するとすれば、その理由は天皇制以外に思い当たらない。吉本によれば、古代の大和王権は生き神である天皇を各地の部族に拝ませる代わりに、自らもそれぞれの部族の神を拝むという一種の取引によって、日本列島を支配した。このときの王権と部族の関係は、支配と被支配の縦の関係だけでなく、それと混交した相互的な横の関係によって成立したと考えることができる。
柄谷行人の交換様式論を理解の助けにしてもいい。柄谷は5つの交換様式を想定し、時代ごとに支配的な様式が入れ替わると考える。もっとも古い遊動的な狩猟採集社会では共同寄託(純粋贈与)が、氏族社会では交換様式A(互酬=贈与と返礼)が、国家が誕生してから封建制までの社会では交換様式B(略取と再分配=支配と保護)が、資本主義社会では交換様式C(商品交換=貨幣と商品)が、未来社会では共同寄託(純粋贈与)を高次元で回復する交換様式Dがそれぞれ支配的な様式となる。
大和王権は国家の成立に不可欠の交換様式Bと交換様式Aを混交させたと考えることができる。王権と部族とが互いに相手の神を拝む関係は一種の互酬であり、交換様式Bの宗教版と言っていい。

30代 日本国憲法はふだん着にならないのか。

年金 よそ行きのままでも、それが国家権力を縛る憲法としての機能を発揮しているのは、9条があるからだ。戦争を無条件に忌避する感情は戦後の日本国民のアイデンティティーといっていい。それが非戦・非武装という、国家に対する究極の縛りを機能させ、他の条項をも実効性あるものにしている。