がらがら橋日記 自転車小屋で

 自転車通勤を始めて半年が過ぎた。これから正念場の夏を迎えようとしている。太ももにうっすらと肉もついて、体も自転車仕様になってきている。動かせば、いくつになってもそれなりに適応しようとするのが体というものらしい。初め頃より重いギアで同じ坂道を上っていることにふと気づく。
 自動車に乗っていると、濃淡はあれ事故を起こすのではないかという不安が常につきまとう。こんなに硬くて重たいものと生身の人間が同じところを通るなんて狂気の沙汰だ、と未来の人間たちはぼくたちにあきれるんではないか、そんな空想が時々よぎる。
 自転車だから安全とも限らないが、少なくとも甚大な加害に及ぶ確率はうんと下がる。十キロばかりの機械なら個人が日常で扱える範囲内という気がするが、一トンもの道具はそもそも過剰なのだ。そうはいってもぼくの中で自動車や車社会を肯定する部分も少なからずあるわけで、天気予報で出退勤時に傘マークを見つけたら車を選ぶ。甚だ徹底を欠いている。
 自分の通勤スタイルについて何一つ言った覚えはないし、ぼくに触発されたわけでもないだろうが、冬を越したあたりからぽつりぽつりと自転車通勤を試みるものが出始め、がら空きだった職場の自転車小屋に色とりどりの自転車が並ぶようになった。
「今日は立ちこぎせずにここまで来ました。」
とママチャリで通勤を始めた中堅職員が、額の汗を拭いながらにこやかに言う。職場は丘の上にあるので、どこからこようと結構な勾配を上ってたどり着かねばならないのだ。それが自転車を敬遠する理由だという者もあるが、こんなふうに楽しんでしまう者もいる。体重に頼るのでなく脚力で上りきるのが目標になっていたのだという。
「なんだか楽しいです。」
 二十台の女性教師は、そう言って、キャップを目深にかぶって颯爽とスポーツバイクにまたがる。坂道を一気に下っていく背中を見送りながら、となりの教師が、「少年だなあ、まるで。」と笑う。背が高く体も引き締まっているから宝塚の男役みたいでかっこいい。
 いつもぼくが駐めているところの隣に黄色の見慣れぬクロスバイクがあるのに気づいた。ひょっとしてと思い、四十代の女性教師に尋ねると、「今日だけです。」とはにかんだように笑った。風に吹かれるままの行き帰りを経た者同士に見せる顔。これも楽しい贈り物だ。
 次の朝、やっぱり黄色いバイクがそこにあった。今日だけのはずが思いのほか楽しかったらしい。