がらがら橋日記 鬼ごっこ
暖かくなるにつれて、どん底に思えた心身の不調からも抜け出したようだ。漠然とは思っていたが、加齢に伴うあれやこれやは、我が身に降りかかってようやく他人事でなくなってくる。
秋、大仕事が終わったと思った途端に腕が上がらなくなった。これが世に言う五十肩か。この年まで何もなかったのだから見逃してもらえるかと思ったが、ぎりぎりでつかまった。痛みが増していく過程では、このまま治らないのではないかと暗い気分にも襲われたが、医者にもかからず、薬もたよらず、ほったらかしにしていたらゆっくりゆっくり治まっていった。
寒さも底の頃、困難な仕事につかまってしまった。見通しがきかず、どうにか打つ手が裏目と出る。毎夜もどかしさから抜け出せない会議に追われる。ぐったりして帰宅し、ずるずるとした気分で寝床に入るものの、今度は不眠にもつかまってしまった。
時間とともに癒えるのは、どんな苦痛も同じらしく、仕事も不眠もゆっくりゆっくりと快方に向かった。最中にはそんな先を描くことなどまったくできなかったが。
この一週間は、ふらつきにつかまっている。わずかなのだが、頭を動かすたびに軽いめまいを覚えるのだ。生活には支障がないので、そのままほったらかしているが、動くたびに律儀にふらっとくるので、どうにも不快でいけない。暗い妄想もよぎるので調べてみたら、これまた加齢に伴いでてくる症状の一つらしい。ほっときゃ治る類いの。ちょっと安心して、
「良性発作性頭位めまい症というらしい。」
と妻に言うと、
「としだね。」
自分に劣らず、あちこち不調を訴える妻に言えるのはそれぐらいのようだ。
「お互いな。」
これは、思うにとどめる。
あれこれつかまるようになったのだ。若いうちは、知らぬうちに逃げ回れていたものを、逃げ足が鈍くなったのを疫病神は見逃さない。でも、ほっときゃ治る程度で勘弁してくれている。とことんいたぶられてしまった友人知人だって少なくないのに。
今年はコロナから逃げ回るような連休になった。逃げ切れるかどうかはわからない。某所の抗体検査によれば、感染者の実際はかなりの数に上るらしいので、もうつかまってしまっていたとしてもおかしくないのだが。
次々現れる鬼たちとつかまったり逃げたりの繰り返し。いつか逃げ切れなくなるまでの。