がらがら橋日記 いつもと違う朝

 休校と同時に職員の在宅勤務が始まった。完全に在宅とできないのは、事務仕事が通常通りなのに加え、やむを得ぬ事情がある場合に限り、と念を押して預かる児童がいるからだ。交代でその子たちの見守りをしているので、職員に一定の出勤を求めている。
 預かりの子どもたちの把握や、職員のシフトを組むのは私の仕事なので在宅勤務というわけにいかず、相変わらず朝から晩まで連日学校にいる。一週間もするとそれなりにこなれてくるもので、なるようにしかならない日を一日一日やり過ごす。
 とはいえ、ここにきて気づいたのは、自分の日常がこれまでとそれほど変わらないではないか、ということである。
 夜明け前に起き出して、一時間ばかり走る。すれ違う人など四五人だ。いつも同じ人。お互い時計代わりになりそうなほどには几帳面ではないので、出会う場所はまちまちだけれど。どこであろうと二メートルの間隔など意識する必要もない。
 それに自転車通勤での行き帰り。これで一日の運動は十分。社交的ではないので積極的に出会いを求めることもしてこなかった。ゆえに帰宅してからも休日も、用事がそれほどあるわけでもない。人が多いという理由で出かけるのを止めるのはずっと以前からだ。つまりもともと三密を避けて暮らしていたのだった。あきれるほど変化はない。自分の暮らしだけに限れば。
 県の感染者報告があって、国の緊急事態宣言が出て、市の休校が決まった翌朝、ぼくはいつもと同じように暗いうちに起き出して、同じ服を着て、同じスニーカーを履いて、同じだけ準備運動をして、走り始めた。でも、まだ夜をいくらか残した町は、ちょっと変わっている気がした。
 すれ違うお婆さんがマスクをしていた。川土手で犬を散歩させているお爺さんが歌を歌っていた。あいさつしてもろくに返事もしない無愛想な人が朗々と賛美歌を歌っている。いつもの人たちもいつもとちがう朝を迎えたらしい。
 日米開戦の知らせを受けたときの一新した空気を描いた作家たちのことが浮かんだ。「空の色さえ潔い」、「昨日は遠い昔」、などなど。きっぱりと画した昨日と今日を彼らはうたった。その先に待ち受けていたものなど彼らの視界にはまるで映っていない。想像したところで見えないものなのか、見ようとしなかったのか。
 いつもと何かが違う朝。今はまだ見えないもの、今はまだ言えないものがそこにある朝。