ニュース日記 734 危機感が足りないのか、騒ぎ過ぎなのか

30代フリーター やあ、ジイさん。新型コロナウイルス対策でようやく政府がひとり10万円の一律給付へ舵を切った。遅すぎるうえに、事業者への休業補償は拒んだままだ。なぜ政府はこんなにかたくななんだ。

年金生活者 田原総一朗のメールマガジンによると、安倍晋三は官邸を訪ねた田原に「緊急事態宣言がなぜこんなに遅れたのか」と問われて、「ほとんどの閣僚が反対していた」と語り、財政問題が理由だったと説明したという。だが、その理由は錯覚をもとにしたものに過ぎない。
 自国の通貨を発行している政府の赤字は、家計や企業の赤字と違って、破産につながることはあり得ない。通貨を発行しさえすれば、いくら借金しても返せるからだ。まして現在のようなマイナス金利の時代には、借金したほうが赤字が減る。

30代 そんな打ち出の小槌みたいな話だれが信じるんだ。

年金 貨幣がありがたがられるのは、それでどんな富でも手にすることができると信じられているからだ。その信仰は富が稀少だから成り立つ。もしあり余るほど富があれば、貨幣がありがたがられることはない。資本主義の高度化とテクノロジーの発達はいま富の稀少性の縮減を加速し、貨幣への信仰を揺さぶっている。
 だが、安倍政権の閣僚も財務省もその信仰に囚われたままだ。貨幣を富の中の富と信じ、それを分配する力こそ自らの権力と考えている。だが、貨幣は富ではない。国家にとっては富の再分配のための手段にすぎない。それをため込んでもなんの腹の足しにもならない。「財政問題」を理由に出し惜しみすれば経済を弱らせ、国民生活を損なうだけだ。

30代 外出を制限されてみんなどんな毎日を送ってるんだろう。

年金 大多数の人たちが不自由な生活を強いられる一方で、逆に生きづらさをいくぶんか緩和された人たちもいるはずだ。
 引きこもりに苦しんでいた人たちは、家に居続けることが感染拡大防止に貢献すると聞いて、少し安堵したかもしれない。強迫性障害のために頻繁に手を洗うのをやめられない人は、だれもがせっせと手を洗い始めたことで、多少なりとも緊張を和らげることができたかもしれない。
 学校でいじめられていた子供たちは、休校という願ってもない幸運に心ひそかに万歳したのではないか。人づきあいの苦手な人たちの中には、他人との接触を避けるように求められ、「それなら得意」と思った人もいるかもしれない。
 活動的、社交的、細かいことを気にしないといった、平時ならプラス価値とされる個人の属性を、新型コロナは一時的にマイナス価値に変えた。流行が落ち着き、それらがプラスに戻っても、私たちはそれがいつまた変わるか分からないことを知ってしまった。
 環境によって変わる属性の価値を可変価値と呼ぶなら、環境に左右されない不変価値はどこにあるか。属性にないとすれば、個人の存在そのものにあると考えるほかない。これから先も新型コロナのようなパンデミックが繰り返されると、そのことがきわだってくるだろう。

30代 政府に危機感が足りないという批判がある一方で、騒ぎ過ぎじゃないかという見方もある。

年金 新型コロナは私たちの社会にメディカルな対処だけでなく、メンタルな対処を迫っている。未知のウイルスへの恐怖と不安を放置すれば、大勢を集中的に病院に向かわせ、医療崩壊を招く恐れがあるからだ。
 もし新型コロナが未知のウイルスでなく、既知のインフルエンザウイルスだったら、恐怖も不安もはるかに少ないはずだ。既知のインフルエンザの感染者、死者は新型コロナよりずっと多いのに、人びとはコロナほど恐れていない。ワクチンの接種率40%弱という調査結果にそれがあらわれている(「わが国におけるインフルエンザワクチン接種率の推計」)。
 未知ゆえの恐怖と不安は現実のリスクよりも過剰になる。人間は未知の危険に遭遇すると、そこにだけ目を凝らすようにできており、既知の危険と比べながらそれを見る余裕を持たない。世界のすべてが未知の危険でおおわれているように感じ、全体を俯瞰することができない。それができるにようになるには時間を要する。そのために起きるかもしれない医療崩壊を食い止めるのが現在の最大の課題となっている。

30代 どうしたら止められるんだ。

年金 集中治療室や人工呼吸器、それを扱うスタッフなどが必須となる重症者の数を抑えなければならない。そのためには爆発的な感染を避け、緩やかな感染拡大にもっていく必要がある。
 ウイルスを人為的に消滅させることは不可能であり、緩やかな感染によって、あるいはワクチンの開発によって集団免疫を獲得し、感染爆発が起こらないようにする以外にない。かつての新型インフルエンザともそうやって私たちは「共存」している。
 今後も未知のウイルスのパンデミックが繰り返される可能性がある以上、医療システムの更新と拡張だけでなく、恐怖と不安を和らげるための恒常的な「安心」の仕組みの構築を各国政府やWHOは迫られるだろう。だれよりも世界の諸国民がその必要性をコロナで思い知ったはずだ。