がらがら橋日記  電話の向こうで

 こんなことがあると、何でもかんでも「これまでどおり」でやってきたんだよなあ、と改めて気づく。新型コロナウイルスのことだ。
 これまでとまるっきり違う四月になった。いつもだったらあれもこれもと出かけさせられる研修だの連絡会だのがどんどん中止になる。毎年開くことが前提になっていて、それを疑いもせず、「この忙しいときに呼びつけて…」と不平をつぶやきながらも決して表には出さず、従っていたあれもこれもが、あっけないほどなくなっていく。
「ないならないで、どうにかなるもんだねえ。」
 職員室のあちこちから聞こえてくるそんな声。まったくの思考停止で、今年もこれでいきます、と大半をすましている自分自身が、こんなにくっきりと見える春は今までなかった。よりによって定年退職を前にした最後の一年で。でも、それを嘆く気持ちはまったくない。こびりついていた泥を落としてみたら、地色が案外新鮮なのに驚いた、というところか。
 感染がまだ身近なところに及ばず、どこか他人事の意識が消えていないからそんなこと言えるのだ、とは思う。島根県でも感染報告があり、ひたひたと迫ってきたのを誰もが感じ始めた今、そんな脳天気なことを言うことすら不謹慎になっていくのだろうか。
「どうして休校にしないのだ。感染したらどう責任をとるのだ。」
 苛立った住民が抗議の電話をかけてくる。
「決めるのは市ですので。」
「そんなはずはない。命がかかっているんだぞ。」
「いえ、できません。」
 いくら言っても分かろうとはしない。不安の矛先は、いつだって前線が浴びる。今、世界中のあらゆるところで収まらぬ怒りをおろおろと受け止めている人たちがいるのだろう。
「これ以上お話しできることはありませんので。」
 激高してしゃべり続ける声の響きを断ち切るように、受話器を置く。口の中に苦いものが広がっていく。わかるよ、あなたの怒りは。
 また鳴るんじゃないかと思って、受話器を見る。不思議とうんざりとか恐れとかは湧いてこない。かかってきたら、ちょっとだけいっしょに悲しんでみようかなと待つような気にさえなった。
 でも、かかってこない。電話の向こうで、男はぼくの官僚的な対応に憤慨しているのだろうか。それとも家族にたしなめられているのだろうか。もしかすると泣いているかもしれない。そう思ったらそんな絵が浮かんできた。