がらがら橋日記 一人旅(4)
「ふとんさ、敷いてやれ。」
お爺さんがお婆さんに言う。
「いや、寝袋持っていますから。大丈夫です。」
まだ、人の好意に甘えることに慣れていない十八歳だ。軒先貸してもらって雨さえしのげればいい、と言ったのは嘘じゃない、食事もふとんもなんて決して思っていない、との表明なのだが、お婆さんは、聞き流してさっさと敷き始めた。夏の盛りなのに、大ぶとんだ。
昼間からストーブを焚くようなところだぞ、寝袋で足りるわけないだろう、とお爺さんは言いたいのだろうが、何も言わない。
オロフレ峠を一日上って、元に戻る。旅程は一コマも進んでいない。全くの徒労である。でも、掛けぶとんの重さがうれしい。思い通りに行かないときは変更すればいい、そこにはもう一つ別の物語が用意されるのであって、そっちがずっとおもしろいことだってあるのだ。そんなことを考えているうちにあっと言う間に眠りに落ちた。
寝起きはとても爽やかだった。朝ご飯もいただく。散々世話になった。礼を言って、支度をする。砂利を敷いた玄関先に出ると、雨がやんでいた。合羽を着ないですむというだけで気持ちが弾む。朝靄が草むらを覆っていた。
エンジンは一発でかかったが、もう少しいたわってやろうと思った。もうしばらく下りが続くので、そこで休めて、あまり欲張らないようにしよう。
お爺さん、お婆さんが見送りに出てくれた。相変わらずぼそっと何か言って相づちをうつぐらいだが、二人とも微笑んでいる。二人の視線を背中に感じながら峠の続きを下った。
さて、登別まで来て、ふと気づく。お爺さんお婆さんの名前を聞かなかった。住所も分からない。オロフレ峠の途中の家というだけだ。
あれから四十年以上経った。お爺さんもお婆さんもとっくに鬼籍に入られたにちがいない。心の中では、何度も二人を慕ったけれども、何も返せぬままである。
オロフレ峠は、北海道有数の難所と言われていたことをずっと後になって知った。その後トンネルができてずっと便利になっている。
あのお爺さん、お婆さんは、その便利さを享受することができただろうか。そんなことどうでもいいというように薪をくべているような気もするが。
もう一度オロフレ峠を訪ねてみようか、そう思うだけでわくわくする。理不尽な人生への対抗手段だ。