がらがら橋日記 一人旅(3)

 エンジンをかけないまま、オロフレ峠の長い長い坂を下りていく。
「原付だけんね。一時間走ったら休ませちゃらんと。」
 七千円を購入したとき、バイク屋のオヤジさんが言っていた。まったくそんな気遣いをせず、ずっと走り通しだったことをバイクにすまないと思う。
 夏の盛りとはいえ寒い。道路脇には、ぼくの背丈を越えるような草がびっしりと茂っていて、雨に濡れて黒光りしている。下りても下りてもなかなか人の気配がない。とにかく最初に見えた民家にお願いして泊まらせてもらおうと決める。
 ようやく民家が見えた。ドライブインの看板らしきもので気づいたのだが、とっくにやめているのか、字がすっかり消えてしまっている。少し奥まったところにトタン屋根の小さな家がひっそりとあった。突き出した煙突から煙が出ているので、人がいると分かる。まだ、泊まれるかどうかも分からないのに、ほっとした。
 玄関で声をかけると、七十がらみの黒縁めがねをかけたお婆さんが出てきた。軒下でもどこでもいいので、と懇願するぼくの話をニコリともせずに聞いて、
「お爺さんに聞いてみないと。」
と奥に行く。
 総白髪の短髪、背は低いががっしりとしたお爺さんとお婆さんが話しているのが見える。お爺さんがぼそっと言う。
「泊めてやれ。」
 お婆さんが、ちょっとだけニコリとしてぼくの方に来て上がるように促してくれた。
 ドライブインとは無関係らしい質素な部屋。ストーブには薪がくべられている。煙突の煙はこれか。
 けんちん汁とご飯が出てきた。リュックの中にコッペパンがあったので遠慮はするものの、あったかいご飯がいいに決まっている。ありがたく頂戴する。
「どっから来た。」
「島根です。」
「シマネ?」
「ええ、鳥取の隣の。」
 お爺さんの語彙の中に鳥取も島根もないらしい。
「内地か。」
「ナイチ?」
 今度はぼくの使用語彙の中にない。一瞬考えて思い当たる。
「ええ、内地です。」 二人の間におおらかな日本地図が広がった。