ニュース日記 724 自殺はなぜ増え、なぜ減ったか

30代フリーター やあ、ジイさん。厚生労働省の発表によると、去年1年間の自殺者数は1万9959人(速報値)で、10年連続して減少し、統計を取り出してから初めて2万人割れしたと報じられている(1月17日朝日新聞デジタル)。1998年から14年連続して3万人を超えていた自殺者数がここまで減った理由は何だろう。

年金生活者 村上尚己というエコノミストが、アベノミクスの効果による失業率の低下をあげている(「日本の自殺者数はなぜ『激減』したのか?」、2017年2月24日DIAMOND online)。アベノミクスが始動した2013年から失業率の低下が顕著になり、それと平行して自殺者数も減り続けていると村上は指摘する。この見方はかなり正確と考えていい。
 失業ほど人間の自尊心を損なう生活上の出来事はそうない。それがエスカレートすると、自分は社会に無用な人間ではないか、生きていても仕方がないのではないか、といった思い込みを生む。今よく使われる言い方をすれば、承認欲求が満たされない心の飢餓状態に陥る。
 それが自殺にまで行き着くことがあるのは、損なわれた自尊心の回復、言い換えれば承認欲求の充足を、死によって一気に実現してしまおうという衝動が生まれるからだ。人間にとって、死は生の個別性を脱して普遍性に移行することを意味する。普遍的であることは万人から認められることにほかならない。自殺はそれに向けた文字通りの命懸けの跳躍だ。

30代 アベノミクスの効果に着目したそのエコノミストの指摘は、安倍晋三が聞いたら大喜びしそうだ。

年金 村上の指摘には自殺の減少の理由をすべてアベノミクスの効果に帰そうとする一面性がある。彼が根拠としてあげている失業率の低下は民主党政権時代の2011年にすでに始まっているし、自殺者数もその前年の2010年から減少し出して、12年には3万人を割っている。したがって、アベノミクスはそれ以前から始まっていた減少傾向に拍車をかけたというのがより正確だ。
 だとしたら、自殺者が減った理由は失業率の低下以外にも求めなければならない。減少が始まったのは、失業率が下がり出す1年前であることがそれを物語っている。
 考えられる理由のひとつは、自尊心の保持あるいは承認欲求の充足に、職があることが寄与する度合いが減ってきたことだ。言い換えれば、失業がかつてほど自尊心の損傷あるいは承認の遮断をもたらさなくなったということだ。この背景には資本主義とテクノロジーの高度化が加速する富の稀少性の縮減がある。それはモノやサービスの無料化、低価格化を促し、失業してもある程度まで生活していける環境をつくりだした。
 さらにもうひとつつけ加えるとしたら、SNSの普及をあげることができる。様々な他者とたちどころにつながり、互いに「いいね!」を交換し、共感し合うのは、自尊心を保ち、承認欲求を満たす手っ取り早く方法ということができる。

30代 2万人を割るところまで減った年間の自殺者数が10年近く前までは14年間にもわたって3万人を超える状態が続いていたのはなぜだろう。

年金 東西冷戦の終結にともなう世界経済のデフレへの転換が雇用を不安定化させたことが背景にある。物価が下がり続けるデフレは労働力の価格も下げた。物価ほどの価格破壊はなかったものの、大規模なリストラ、終身雇用・年功序列賃金の見直し、非正規雇用の増加などの形をとって労働者を襲った。
 とりわけ中高年層は、それまで体にしみ込んでいた働き方の変更を迫られた。それは会社からお前はもう必要なくなったと宣告されたに等しく、自尊心を損なわれ、承認欲求の充足を断たれる出来事となった。自殺はそれを脱する最終手段として選ばれたと推察される。年齢別の自殺者数では中高年層の増加がきわだっていた。
死を生誕の逆過程と考えれば、死の普遍性は胎児の状態としてイメージされる。母胎の宇宙と臍の緒でつながった胎児は自身が宇宙でもあるからだ。そこに帰れば、情けない今の自分を脱して万能の自分に戻れるかもしれない。そんな無意識の想念が人を自殺に引き寄せることはあり得る。

30代 終身雇用・年功序列賃金の見直しや非正規雇用の増加は今のほうが進んでいるのに、自殺者が減っているのはどういうわけだ。

年金 現在の中高年層は、そうした雇用の現状を前提として就職した人たちが多い。人生に断層を生じさせるほどの働き方の変更を迫られることがなく、そのぶん自尊心の損傷も承認欲求の不満も感じなくて済んだと考えられる。

30代 民主党政権時代を悪夢だったと言う安倍晋三に、自殺者の減少も失業率の低下もその悪夢の時代に始まったということを聞かせてやりたいよ。

年金 その通りだとしても、アベノミクスが自殺者を減らすのに寄与した功績は認めないわけにはいかない。そうだとしたら、野党はアベノミクスを批判するだけでなく、そうしたいい面に着目し、それをさらに拡大する方向で経済政策を打ち出さない限り、支持率はいつまでもたっても自民党にはるか及ばない状態が続くだろう。